「盛大な宴会の招待」という題でポイントを四つ上げて学びましょう。
①安息日とクリスチャン…旧約聖書の教えから「安息日に病人の病気を癒してはいけない」という発想は無いはずなのですが、それは、ヘブル語でタナハと呼ばれる旧約聖書の他に、ミシュナー、タルムードと呼ばれる聖書以外の言い伝えがユダヤ教の中に入ってきたからです。その背景には、バビロン捕囚の反省から、エズラ、ネヘミヤ時代に当時の指導者たちが徹底して安息日を守らせたことが、後に極端な解釈へとつながったのでしょう。さて、今日のクリスチャンと礼拝について考えてみますと、安息日を厳守するという考え方は昔に比べて弱くなったかもしれません。出エジプト20章の十戒には、8つの「~してはならない」と二つの「~しなさい」があります。何もしなくても8つは守れますが、2つは行動しないと守れません。つまり、十戒全部を守るには2つの「~しなさい」を守ればよいのです。それは、第4戒の「安息日を覚えて、これを聖とせよ」と第5戒の「父と母を敬え」です。この二つの「しなさい」は非常に大切な戒めです。第一に、礼拝に出席する。第二に、親孝行する。この二つが祝福の出発点です。
②自分を低くする…人間は、人間以上でも以下でもありません。自分を大きく見せたりする必要はないし、また、他人を見下げたりすることも愚かなことです。自分に関しては謙遜であることが望ましいでしょう。イザヤ57:15には「いと高くあがめられ、永遠の住まいに住み、その名を聖ととなえられる方が、こう仰せられる。「わたしは、高く聖なる所に住み、心砕かれて、へりくだった人とともに住む。へりくだった人の霊を生かし、砕かれた人の心を生かすためである。」とあります。人の前での謙遜も良いことですが、もっと大事なことは全能者である神の前での謙遜です。
③食事をふるまう…キリストは、「食事に招待するときは友人、知人、兄弟ではなく、貧しい人、不具の人、足なえ、盲人を招きなさい。」と言っています。もちろん、友人、知人を招いてはいけないということではなく、お返しのできない人々を招いて、天に宝を積みなさい、という意味で語られたのです。
④神の国の宴会…この世の宴会なら大抵の人が集まってくるでしょうが、神の国の宴会は目に見えないものですから、今日、キリストの福音を多くの人々が無視するのと似ています。しかし、ヘブル12:22には「しかし、あなたがたは、シオンの山、生ける神の都、天にあるエルサレム、無数の御使いたちの大祝会に近づいているのです。」とあり、聖書のみことばで約束されている限り、必ず実現するのです。私たちは、その天の大祝会に与(あずか)ることができるように、キリストへの信仰をしっかりと保ち、それだけに止まらず、人々を神の国の宴会に招き入れる務めを果たさねばなりません。