●10月30日礼拝メッセージ要旨(ルカ19:1~10)  

 「取税人のかしらザアカイ」という題で、ポイントを3つあげて学びましょう。
 ①ザアカイを見る神の目…キリストが通られるということで、取税人のかしらザアカイは一目、どんな方か見たいと思いました。しかし、彼は背が低く、群集のため前を見ることができませんでした。そこで、いちじく桑の木に登って見ていると、キリストが「ザアカイ。急いで降りてきなさい。きょうは、あなたの家に泊まることにしてあるから。」と言いました。ザアカイは大喜びでキリストを家に迎えましたが、それを見ていた人々は「あの方は、罪人のところに行って客となられた。」と、つぶやきました。一般的に私たちは、人を見るとき、表面的な間違った評価をしてしまいやすい傾向がありますが、神の視点は、その人の内面に注がれているのでしょう。第一コリント4:5には「ですから、あなたがたは、主が来られるまでは、何についても、先走ったさばきをしてはいけません。主は、やみの中に隠れた事も明るみに出し、心の中のはかりごとも明らかにされます。そのとき、神から各人に対する称賛が届くのです。」とあります。私たちも、イエス様ならどうされるだろう、どう思われるだろうというような神の視点で、人や物事を見てゆきましょう。
 ②罪の清算…キリストを自分の家にお迎えしたザアカイは驚くべきことを言いました。自分の財産の半分を貧しい人たちに分け与え、だまし取ったものは四倍にして返すと言ったのです。確かに、他人のものをだまし取っておいて、神を信じたと言っても証しになりません。このこと(罪の清算)をザアカイが実行したとすれば、ザアカイは文無しになったかもしれません。しかし、それによって彼の心は晴れ晴れとして喜びに満たされたことでしょう。
 ③失われた人を捜して救う…ザアカイの驚くべき告白を聞いて、キリストは「きょう、救いがこの家に来ました。この人もアブラハムの子なのですから、」と言われました。アブラハムの子とは、アブラハムの子孫であるユダヤ人のことでもありますが、永遠の霊的祝福を受けた人のことでもあります。今日、イエス・キリストを信じる信仰によって誰でもアブラハムの子孫となれる(ガラテヤ3:14)のです。キリストは、失われた人を捜して救うためにこの世に来られました。私たちも、そのキリストを模範として、失われた人を捜して、キリストの下に導く者となりたいと思います。

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