●11月13日礼拝メッセージ要旨(ルカ19:28~48)

 「エルサレム入城」という題でポイントを4つあげて学びましょう。
 ①ロバの子に乗った救い主…エルサレムに入られる時、キリストはなぜロバの子に乗られたのでしょう。二つのことが考えられます。一つは、ゼカリヤ9:9の預言の成就です。もう一つは、軍馬ではない荷物を運ぶロバ、それも子ロバに乗られたということは、キリストは、この世界に戦いではなく真の平和をもたらすために来たということです。アメリカでは大統領選挙が行なわれました。今、世界は混沌とした方向に向かっていますが、この選挙結果で益々それが加速する印象を多くの人が感じたことでしょう。また、終わりの時代には不法の人、滅びの子(第二テサロニケ2:3)と言われる人物が現われます。彼は、最初は救世主のような指導力を発揮しますが、やがて本性を現わし、世界中を暗黒の世界に陥れるでしょう。結局ロバの子に乗ったキリストによらなければ、本当の平和な世界は実現できません。しかし、そのキリストによる平和は、キリストを信じる者の心の中に、今すぐにでも与えられるのです。すでに、イエス・キリストを心に受け入れた者は、周りの方々にキリストの平和の福音を伝える使命があります。
 ②喜んで大声で神を賛美…いよいよキリストが、ロバの子に乗って、エルサレム入城すると、弟子たちの群れが「祝福あれ。主の御名によって来られる王に。」と大声で賛美しました。実は、わたしたちが救い主を賛美すること、御名を呼び求めることは大事なことです。ローマ10:8~13には、イエスを主と告白すること、また、イエス様の御名を呼び求めることによって救われる、とあります。教会でも家庭においても、普段から、主の御名を呼び求め、いざというときのために備えていなければなりません。
 ③都のために泣いた主…キリストは、その数十年後のAD70年に、ローマ軍によって神殿が破壊されることをご存じで、都のために泣かれました。全ての人の主であられる神は、イスラエルだけでなく、一人でも滅びることを望まず、全ての人が悔い改めに進むことを望んでおられます(第二ペテロ3:9)。
 ④わたしの家は祈りの家と呼ばれる…当時のエルサレムの神殿は、まともな使い方がされておらず、いけにえのために用いる家畜を売買するための商売の場と化していて、まるで強盗の巣でした。キリストは彼らを追い出し、「私の家は祈りの家でなければならない。」と言われました。今日、教会(church)のための建物(chapel)も祈りの家と呼ばれるべきです。もちろん、祈りだけでなく、みことば、賛美がささげられる場所です。初代教会の人々は、集まって、みことばを学んで、それを守り、交わり、パンを裂き、祈っていました(使徒2:42)。主が再び来られる再臨の時は近づいています。私たちは、益々、教会(堂)に集まり、礼拝と交わりと祈りをし、整えられてまいりましょう。

コメントする

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です