●2月26日礼拝メッセージ要約(ルカ24:33~53)

   ルカの福音書24:33~53、キリストの復活と宣教命令の記事から、ポイントを3つあげて学びましょう。
   ①復活のからだ…11人の弟子たちがいるところの真ん中に突然現れたキリストを見て、弟子たちは恐れて霊を見ていると思いました。そこでキリストは、霊ではないことを示されるため、焼いた魚を召しあがられました。キリストの復活、それは、前人未到のことであり、初穂であります(第一コリント15:20)。ということは、イエス・キリストにある者は、やがて、キリストと同じように復活に与るということです。通常、人間というものは、生まれたら、やがて死に向かっていくものです。死の先には墓が待っていて、そこで終わってしまい、何の希望も持てないのが無神論、進化論的世界観です。しかし、イエス・キリストを信じる者にとっては、死は永遠の始まりであり、キリストと同じように復活のからだを持つという失望に終わらない希望を持つ者とされるのです。
   ②罪の赦しを得させる悔い改め…キリストは聖書全体から、ご自身について書いてあることを弟子たちに語られました。特に「罪の赦しを得させるための悔い改めが始まる」ということを説かれました。一人の人がイエス・キリストの救いを受けるには、おおよそ3つの要素を理解する必要があると言えます。(※もちろん、様々なケースがあって、ひとくくりにはできませんが。)一つは「創造主なる神」について、二つ目は「罪」について、三つ目は「救い」についてです。三つのうち、最も理解されにくいのは二番目の「罪」についてではないかと思います。早い話、自分が罪人であることを自覚することによってイエス・キリストの救いの必要性が分かるというものです。それは、正に聖霊の働き(ヨハネ16:8)に他なりません。ですから、キリスト者は人々の救いのためにとりなしの祈りをささげましょう。また、罪赦された者は、自分が赦されたように人を赦すことができますように。
   ③力を着せられる…キリストの復活後から数えると50日目に聖霊が使徒たちに注がれ、そこから、力強く初代教会が始まって行きました。「天の父が求める人たちに、どうして聖霊を下さらないことがありましょう。(ルカ11:13)」とありますように、私たちは、聖霊を求めて祈りに励むべきです。でも、祈るだけで良いということはありません。実際的には人としての総合的な力が必要とされます。この世の専門的な知識、その人なりの経験も益となりますが、やはり、聖書のみことばに精通することは最も重要なポイントです。また、注意点として、私たちは「あの人のようになろう」「あの人を越えよう」などと思うことは賢明ではありません。自分自身を生きることです。それぞれ自分に与えられた使命に忠実であることです。そのための必要な力を着せられたいものです。毎朝、毎朝、祈りとみことばに励み、霊的武装をして出かけましょう。

コメントする

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です