ヨハネ6:1~21から「パンの奇跡と水上歩行」という題で、ポイントを3つあげて学んでまいりましょう。
①パンの奇跡…5000人の人たちに少年が持っていた5つのパンと2匹の魚を配ると、なんと皆満腹し、余ったパンきれを集めると、12のかごがいっぱいになりました。この5つのパンと2匹の魚の奇跡は4つの福音書全部に記されていますし、キリストが行なわれた奇跡のうちでも最も象徴的な出来事だったと言えるでしょう。なぜなら、食べ物は人の命の源でもあり、人の命を握っておられるのは真の神であって、神と食べ物は密接につながっているからです。19世紀のイギリスで、ジョージ・ミュラーという人は孤児院を経営していました。しかし、孤児たちに与えるパンが度々なくなりました。そんなときミュラーは神に祈り求めるのです。すると、不思議なことに、大量のパンが誰かから届けられるのです。今日の日本では、食べ物が無くなるということは普通ありえませんが、ひとたび大災害などが起こると、瞬く間に食べ物が手に入らなくなってしまいます。しかし、そんなときでも、不思議とどこからか食べ物が調達されたりするものです。また、たとい、食べ物が沢山あったとしても、私たちには日々、様々な戦いがあり、決して余裕で生活しているということはないでしょう。なんとか生きている、というのが実感かもしれません。パウロは第二コリント4:8で「私たちは、四方八方から苦しめられますが、窮することはありません。途方にくれていますが、行きづまることはありません。」と言っています。つまり、お金や食べ物が私たちを生かしているのではありません。全知全能の神が私たちを生かしているのです。私たちは、謙虚に日ごとの糧を神に求め、神と共に歩むことが大切です。
②山に退かれた…キリストのパンの奇跡を見た人々は、キリストを王にしようと思いました。キリストは、そんな彼らから離れ、山に退きました。それは、キリストが父なる神から受けた使命とは全く異なるからでした。クリスチャンで生涯現役医師の日野原重明さんが105才で亡くなられました。日野原さんは、58才のときに遭遇したハイジャック事件が転機となり、そのとき、残りの人生は世のため人のために尽くそうと決意したとのことです。私たち一人一人も、主から与えられている使命があります。各自、それを見つけて、その道を歩みましょう。
③わたしだ。恐れることはない。…弟子たちが舟でカペナウムに向かって進むと、湖は強風で荒れ始めました。4~5km進んだところで、キリストが湖上を歩いて近づいて来ました。弟子たちが恐れていると、キリストは「わたしだ。恐れることはない。」と言われました。弟子たちは喜んでキリストを舟に迎えて、ほどなく目的地に着きました。今日、私たちも、様々な恐れと無縁とは言えません。でも、キリストが共にいるなら、何も恐れることはありません。