「わたしは門です」という題で、ポイントを3つあげて学びましょう。
①選ばれた神の民…たとえ話というのは、分かる人には分かるけれども、分からない人には分からないという特徴があります。キリストは、ここでパリサイ人たちを前にし、羊の囲いを門から出入りする羊飼いと、門からは入らないで他の所から侵入してくる盗人と強盗のたとえ話をします。羊は神の民、牧者はイエス・キリスト、盗人と強盗はパリサイ人たちです。話を聞いていたパリサイ人たちは、盗人と強盗がまさか自分たちのことであるとは思いませんでした。9章では、盲人だった人がパリサイ人たちから追放され、キリストを信じるようになったのですが、盲人だった人こそ、真の羊飼いであるイエス・キリストの御声を聞き分けることの出来た羊であり、選ばれた神の民だったのです。今日、私たち一人一人も大牧者であるキリストの声を聞き分け、それに従う従順な羊、神に選ばれた民として歩んでまいりましょう。
②わたしは門です…3節では門番が出てきますが、この9節ではキリストご自身が門であると言っています。羊は、この門から入り、牧草を見つける。すなわち、真の神の民はキリストの門から救いを受け、そこでいのちを得、それを豊かに持つようになるのです。その豊かさとは物質的な意味も含まれるでしょうが、もっと大切なことは、神のみことばで養われるということです。羊が牧草を見つけて養われるように、神の民としての私たちは、毎日聖書を熱心に通読し、そのみことばによって養われ、活き活きと暮らそうではありませんか。創世記28章で、ヤコブは野宿して石を枕にして夜を過ごしました。そのとき、彼は夢を見ました。一つのハシゴが天から地に向けて立てられ、そこに神の御使いたちが上り下りしていたのです。そのときヤコブは「ここは天の門だ」と言いました。今も、その天の門があるのです。イエス・キリストがそれです。主の御名を呼び求めるその人の、すぐ傍らに天に通じる門があるのです。
③わたしは良い牧者です…今年の終戦記念日の頃、私はNHKスペシャル「戦慄の記録インパール」を見ました。日本軍のMという一人のリーダーの無謀で強引な命令によって数万の命が無残に失われ、その後、戦況が悪化するとMは自分だけ生き延びるために即刻日本に帰還するのです。良い牧者であるキリストは、自ら先頭に立ち、ご自分の命を犠牲にして、選ばれている神の民のために救いの道を開いてくださったのです。無責任な偽の神様、怪しいリーダーに騙されてはなりません。私たちは、何が本物か、何が真実か、よく見分けて、真の神様、真の大牧者イエス・キリストに従ってまいりましょう。