●11月26日礼拝メッセージ要旨(ヨハネ11:17~44)

  ラザロがキリストによって生き返った記事から、ポイントを3つあげて学びましょう。
  ①わたしはよみがえりです…キリストがベタニヤに来られたことを聞いて、マルタがキリストを出迎えに行き、「主よ。もしここにいてくださったなら、私の兄弟(ラザロ)は死ななかったでしょうに。」と言いますと、キリストは「あなたの兄弟はよみがえります」と言われ、さらに「わたしはよみがえりです。いのちです。わたしを信じる者は死んでも生きるのです。」と言われました。人は死んだらどうなるか。このことは人類史上最大の関心事です。ある仏教の僧侶は「死んでみなくちゃ分からん」と言ったそうです。正直で良いとも言えますが、自ら、救いの道を示せないでいることを証明しています。クリスチャントゥデイに岡山の佐藤史和牧師の体験が載っていました。自転車に乗っていて乗用車と衝突し、一週間ほど意識を失いました。その時、彼は臨死体験をしました。天国の入り口に来たとき、イエス様に「あなたは地上に戻ることになっている。」と言われました。そして、「あなたは、わたしのもとを離れるが、わたしはあなたといつも一緒にいる。よく覚えておきなさい。あなただけではなく、すべての人、一人一人と一緒にいる。このことを地上に帰って伝えなさい。」そう言われ、その後、佐藤牧師は病院の集中治療室で意識が戻りました。人間は死んで終わりではありません。
  ②イエスは涙を流された…家に帰ったマルタに促されてマリヤがキリストのところへ行くと、マリヤを慰めていたユダヤ人たちがついてきました。このときキリストは涙を流されますが、マリヤの悲しみに共感されたのでしょう。憤りを覚えられたのは、心の伴わない同情やご自身への不信仰に対してではないかと思われます。日常生活の中で、接する回りの人々の感情に共鳴することは案外大事なことです。その上で真理の道を示すことができたら、なお幸いです。
  ③ラザロよ。出てきなさい。…死んでから4日もたっているラザロがキリストによって生き返りました。正に、神にとって不可能なことは一つもありません(ルカ1:37)。キリスト者は、どんなときも全知全能の主イエス・キリストの御名によって大胆に祈り求めましょう。もう一つ、キリストが「ラザロよ」と名を呼んでいることに注目しましょう。救い主イエス・キリストを信じ受け入れる者は、天のいのちの書に名が記されます。神の審判のときが来ると、いのちの書に名がしるされていない者は火の池に投げ込まれます(黙示録20:15)。しかし、いのちの書に名がしるされているキリスト者は永遠のいのちに入るのです。

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