●7月8日礼拝メッセージ要旨(ヨハネ21:1~14)

ヨハネ21章1~14節から「テベリヤの湖畔で」という題で、ポイントを3つ上げます。
①私は漁に行く…ワールドカップ・ロシア大会で決勝トーナメントに進んだ日本チームでしたが、ベルギーに逆転の惜敗でした。大会前は「おっさんジャパン」などと揶揄されて、惨敗して帰ってくるのではないかと見られていたのですから立派なものです。仮に、ベルギー戦に勝利して、波に乗り、優勝などしたら、大変なことになるでしょう。結果的には、あのくらいで丁度よかったのかもしれません。さて、テベリヤの湖畔で漁に出かけたペテロたちでしたが、全く何も獲れませんでした。ペテロ、ヤコブ、ヨハネは元漁師です。きっと彼らは「なぜだろう?」と思っていたに違いありません。そんなときイエス様が彼らに「子どもたちよ。食べるものがありませんね。」と声を掛けたのです。私たち人間は全知全能なる創造主によって生かされているのに、創造主抜きで生きて行けると思い違いをしているところがあるのではないでしょうか。そういう意味において、何かの勝負に負けたり、このときのように不漁だったりするのは、悪いばかりではないのです。彼らは、イエス様がいなければ自分たちは何もできないということを思い知らされた、つまり、キリストに拠り頼む者とされたのです。
②舟の右側に網を下ろしなさい…弟子たちは、キリストが言われた通りに船の右側に網を下ろすと、おびただしい魚が獲れました。そのとき、彼らはようやく、助言した人がキリストであるということが分かったのです。右に行くか左に行くべきか、私たちは迷う時が多々あります。そんなとき、神が行くべき道を示してくれたら助かります。それは不可能なことではありません。私たちは、主なる神との深い交わりを通して、神のみこころを知ることができるのです。イザヤ56:7には「わたしの家はすべての民の祈りの家と呼ばれる」とあります。教会の建物は祈りの家でもありますが、今日、クリスチャンは聖霊の宮であり(第一コリント3:16)、私たちの身体が祈りの家なのです。私たちはもっともっと祈りましょう。
③炭火と魚とパンがあった…岸で待っておられたイエス様は、弟子たちのために炭火と焼いた魚とパンを用意してくれていたのです。弟子たちが岸に戻ると、今獲った魚の数匹を持ってくるようにと言われます。このときの弟子たちの心境はどのようであったか想像してみましょう。イエス様が魚を焼いて待っていてくれた。パンもあります。お腹も満たされ、心も満たされ、なんとも幸いな時間であったことでしょう。今日、私たちも、細かく麗しい配慮をされ、恵み豊かなイエス様と共に歩もうではありませんか。

コメントする

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です