●12月2日(日)礼拝メッセージより(使徒の働き7:42~60)

    「ステパノの殉教」という題でポイントを3つあげて学びましょう。
    ①偶像礼拝…「偶像」という言葉は、聖書の中か、クリスチャンの間ではよく使われますが、一般的にはあまり使われません。なぜなら、日本においては偶像を神々と崇めて拝んでいる人が多く、偶像を偶像と認識する概念がないからです。創造主である全知全能の神以外のものを拝んではならないと徹底して教えられているはずのイスラエル人さえも偶像礼拝の罪に陥りました。まして、創造主である全知全能の神を教えられていない日本の多くの人々が偶像礼拝するのは致し方ないとも言えますが、ステパノが議会で指摘している通り、イスラエルは偶像礼拝のゆえに祝福を失い、バビロン捕囚の身になってしまいました。偶像礼拝、それは真の神に敵対する行為であり、イスラエル人でなくても偶像礼拝は罪であり、全能の神からの祝福を失うのです。ですから、まず、私たち自身が偶像礼拝から離れ、人々が聖なる真の神に立ち返るように祈りましょう。
    ②幕屋と神殿…ソロモン王が第一神殿を建てた時、主の栄光が宮の中に満ち(第一列王記8:11)ました。つまり、神殿建設は神に喜ばれているように見えます。しかし、ステパノはイザヤ66:1~2のみことばを引用し、いと高き方が手で造られた家に住むことはないということを語ります。ダビデ王以前は主の臨在の象徴として契約の箱があり、それは幕屋に置かれていました。そこで、ダビデは神殿を造ろうとしましたが、許されず、造ったのはソロモンでした。ステパノのメッセージによると、神殿建設は、一見、神に仕えているようで、実はそうでもなかった、聖霊に逆らっていたということになるのです。第一テサロニケ2:4には「私たちは神に認められて福音をゆだねられた者ですから、それにふさわしく、人を喜ばせようとしてではなく、私たちの心をお調べになる神を喜ばせようとして語るのです。」とあります。私たちは、何か形の上では神に仕えているように見えるというのではなく、真に聖霊に従順でありたいと思います。
    ③ステパノ殉教…ステパノが議会で「あなたがたは先祖たちと同様、いつも聖霊に逆らっているのです。」と語ると、聞いていた人々は、はらわたが煮え返る思いでステパノに向かって歯ぎしりしました。ステパノは聖霊に満たされ、「人の子(イエス様)が神の右に立っているのが見える」と言うと、彼らは耳をおおい、大声をあげながら、ステパノを町の外に追い出して石で打ち殺しました。ステパノは「主イエスよ。私の霊をお受けください。」と言い、そして「この罪を彼らに負わせないでください。」と言って眠りにつきました。初代教会最初の殉教者であるステパノ、英語ではステファン(Stephen)です。この名を付けている欧米人が時々おられます。それだけ多くの人々に尊敬されているのです。私たちも、ステパノのように、最後の最後まで、主と共にあって忠実に主に仕えてまいりましょう。

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