●12月15日礼拝メッセージ要旨(使徒の働き27章27~44節)

  「マルタ島からローマへ」という題でポイントを3つあげます。
  
   ①何の害も受けず…276人全員無事にマルタという島に上陸しました。雨が降って寒かったので、島の住民は火を焚いてくれました。パウロが柴をくべるとマムシが這い出てパウロの手に取りつきました。パウロがマムシを振り落とすと、島の人々は、パウロが今にも大変なことになるだろうと、様子を見ていましたが、なんともないので、人々は「この人は神様だ」と言い出しました。この記事からマルコの福音書16:17~18を思い浮かべます。イエス・キリストを信じる者にはしるしが伴い、「悪霊を追い出し、蛇をもつかみ、たとい毒を飲んでも害を受けず」とあります。厳密には、毒蛇に咬まれたので「蛇をつかむ」とではちょっと違いますが、まあ、ほぼ近い状態と見てよいでしょう。こういった奇跡は今日でも起きる可能性は十分あります。しかし、基本的に、このパウロのマネはしないほうが賢明で、万が一の時は、しかるべき医療処置を受けるべきでしょう。私たちは、奇跡や癒しそのものに注目してしまいがちですが、マルコ16:17~18の記事の段落は15節から始まります。特に15節を見ますと「全世界に出て行き、すべての造られた者に、福音を宣べ伝えなさい」とあります。世界宣教という大きな目的のためにパウロは用いられ、その流れの中で、毒蛇に咬まれても害を受けなかったという奇跡を見ました。私たち一人ひとりも、やはり、今、健康が与えられているとしたら、その与えられた健康を自分の我欲のために用いるのではなく、真の神の栄光のために、ささげられるべきではないでしょうか。「そういうわけですから、兄弟たち。私は、神のあわれみのゆえに、あなたがたにお願いします。あなたがたのからだを、神に受け入れられる、聖い、生きた供え物としてささげなさい。それこそ、あなたがたの霊的な礼拝です。」(ローマ12:1)

   ②ポプリオの父のいやし…パウロの噂を聞いたのでしょう。島の首長ポプリオがパウロたちを招き、三日間もてなしました。そのとき、ポプリオの父が熱病と下痢で床についていたので、パウロはその人のところへ行き、手を置いて直してあげました。すると、それを聞いた島のほかの病人たちがパウロのもとに来て直してもらいました。前述のマルコ16:18には「病人に手を置けば病人は癒されます」とあります。パウロは信仰と聖霊に満たされ、ちょうど水道の水を通すパイプのように神の癒しのわざがパウロを通して現わされたのです。しかし、パイプが詰まっていると水は流れてきません。今日、キリスト者は、神の恵みを人々に中継する神の祭司です。聖霊に満たされ、神の恵みの通り良き管とされましょう。
  
③ローマに到着…マルタ島には三か月留まっていたのですが、アレキサンドリヤの船が用意されて出帆し、シチリア島のシラクサ、イタリヤ本土のレギオン、そしてポテオリに入港します。ポテオリとローマ到着前のアピオ・ポロとトレス・タベルネで兄弟たち(クリスチャンたち)が出迎え、パウロはそのことにより、神に感謝し、勇気づけられました。こののち、パウロは、ローマで殉教したと言われています。命の限り、イエス・キリストの福音宣教に励むことを最優先していたパウロですが、殉教の時が迫っていることも感じていたことでしょう。そういう中で、同じ信仰者との交わりが、意義深いものとなったに違いありません。ヘブル10:25には「ある人々のように、いっしょに集まることをやめたりしないで、かえって励まし合い、かの日が近づいているのを見て、ますますそうしようではありませんか。」とあります。かの日とは再臨のことです。世の終わりが迫ってきて、イエス様が再び来られる時も近づいています。イエス様の名のもとに集まることを大事にしましょう。

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