●2月9日(日)礼拝メッセージ要旨( ローマ3:1~18)

 「義人はいない」という題でポイントを3つあげます。

   ①神の真実が無に帰するのか?…ローマ2章の最後のところでパウロは、「外見上のユダヤ人がユダヤ人ではなく、心の割礼こそ割礼です」と言ったことを元にして、「では、ユダヤ人の優れたところは何ですか。割礼にどんな益があるのですか」と予想される反論を自ら述べています。それに対して、「それは、あらゆる面において大いにあります。第一に彼らは神の色々なおことばを委ねられています」と答え、また、それに対して「では、彼らのうちに不真実な者がいたら、神の真実が無に帰するのですか」という反論に対して「絶対にそんなことはない」と述べて、詩篇51:4のみことばを引用しています。この箇所は、ダビデ王がウリヤの妻と姦淫の罪を犯した後、預言者ナタンによって、その罪を責められたときの悔い改めの告白です。そのとき、神はみことばとさばきによって真実な方であるとされたのです。

 ②善を現すために悪をしよう?…パウロの一人問答は続きます。罪を犯したことによって、神の義が明らかにされるならば、「善を現すために悪をしようではないか」と言ってはいけないのですか、という人が出てくることを想定しています。もちろん、それに対して、「このように論じる者は当然罪に定められる」と言っています。第一のポイントで取り上げたダビデ王の場合、彼は罪を悔い改めたものの、その後の生涯に大きな禍根を残すことになりました。長男アムノンが異母姉妹のタマルを犯したことにより、三男アブシャロムがアムノンを殺します。その後、アブシャロムは謀反を起こし、ダビデのそばめたちと恥ずかしいことをします。最後、アブシャロムは木の枝に首を引っ掛け、ダビデの将軍ヨアブに殺されます。元はと言えば、ダビデの罪から始まっているのです。神の前に、悔い改めるなら、罪は赦されます。しかし、だからと言って、このことからも明らかなように、罪を犯してよいなどとは決して言えません。

 ③義人はいない。一人もいない。…ユダヤ人は、他民族に比べて優っているのでしょうか。決してそうではない、とパウロは言っています。もちろん、多少の文化的な特徴はあるのでしょうが、基本的には、皆同じように罪人であり、3章10~18節で、七か所のみことばから引用している通りに、人間は「相当な悪人」なのです。アメリカの初代大統領ジョージ・ワシントンは「神と聖書なしに、この世を正しく統治することは不可能である。」と言っています。第16代大統領アブラハム・リンカーンは「聖書は、神が人間に賜った最もすばらしい賜物である。人間にとって望ましいものはすべて聖書にある。」と言い、奴隷解放と「人民の人民による人民のための政治」という有名な演説をしています。神のことば、聖書のみことばの教えの全く無い人間の集団が何をしでかすのか、それは歴史が物語っているのではないでしょうか。私たちは、まず、自分が罪人あるということを認め、イエス・キリストの救いの恵みを受け取り、神が与えてくださった聖書のみことばに聞き従い、心の平安、人との平和、そして永遠の祝福いただき、日々、接する人々に福音を宣べ伝えてまいりましょう。

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