この章は、当時のコリント教会の不品行の問題を取り上げています。でも、ポジティブにとらえて、「純粋で真実な生き方」という題でポイントを3つあげます。
①「不品行」(1節)…父の妻を妻にする、そんなことは普通考えられませんが、たぶん、父親の再婚相手、または、妾のような人と通じたのでしょう。実際、創世記35:22では、ヤコブの子ルベンがビルハと通じ、父の寝床を汚した(第一歴代誌5:1)のです。私たち人間には良心があって、ある程度の道徳基準を持っているものですが、やはり、聖書の基準に立ち、真に正しい基準に合わせなければなりません。鎖国前の日本で、イエズス会から派遣されたザビエルが日本人について、「優れた民族であるが、男色(同性愛)がある」と派遣元に報告をしたそうです。創世記19章で、ソドムとゴモラの町に天から硫黄の火が降ってきて神のさばきを受けました。それは、性的な罪の乱れ、同性愛も蔓延していたのです。レビ記18:22には「あなたは女と寝るように、男と寝てはならない。これは忌みきらうべきことである。」とあります。「結婚がすべての人に尊ばれるようにしなさい。寝床を汚してはいけません。なぜなら、神は不品行な者と姦淫を行う者とをさばかれるからです。(ヘブル13:4)」
②「古いパン種を取り除く」(6節)…ここで言われているパン種(イース菌)とは、パンを膨らませるように、不品行によって、教会内に罪を蔓延させないように、という意味で使われています。最近、一般のニュースで、学校の教職員が児童生徒に対して性的な罪を犯す事例が多々あることを聞きます。その場合、その教職員は一旦解雇されるのですが、数年して復職し、また同じ過ちを犯してしまうケースが多いとのことです。そういう人は復職すべきではないでしょう。それは、教会外のことですが、教会が内部に不品行の罪を抱えていたら、しっかりと取り除き、全体に影響を及ぼすことがないようにしなければなりません。もちろん、教会の使命は裁くだけではなく、その人が悔い改め、回復し、正しい道を進むことです。また、私たち個人個人が、自分自身の内側の汚れに支配されないように注意しましょう。コロサイ3:5には「ですから、地上のからだの諸部分、すなわち、不品行、汚れ、情欲、悪い欲、そしてむさぼりを殺してしまいなさい。このむさぼりが、そのまま偶像礼拝なのです。」とあります。まともなクリスチャンは偶像礼拝をしないでしょう。但し「むさぼり」も偶像礼拝となるのですから、気を付けましょう。
③「純粋で真実な生き方」(8節)…私たちは個々に長所、短所、また強さ、弱さを合わせ持っています。決して、完全な人、完璧な人はいません。キリスト教史上最も優れた人と言っても過言ではないパウロは「私は、すでに得たのでもなく、すでに完全にされているのでもありません。ただ捕らえようとして、追求しているのです。そして、それを得るようにとキリスト・イエスが私を捕らえてくださったのです。(ピリピ3:12)」と言っています。つまり、私たちは、「あれしてはいけない、これもやってはいけない」と、下を見るのではなく、上にあるものを求めて生きる(コロサイ3:1)ということです。最近、あるニュースの記事で、アメリカの信頼のおける民間統計会社・ギャラップ社が「日本のクリスチャン人口は4%」であるということを発表したようです。確かに、礼拝出席人数から割り出すと、1%も厳しいでしょうが、「自分はイエス・キリストを信じている」という人なら、そのくらいはいるかもしれません。もちろん、4%で満足していてはなりません。神のみこころは「全ての人が救われて真理を知るようになること」です。クリスマスシーズンに入りました。クリスチャンにとって、ここしばらくは最も福音を伝えやすい時です。私たちは、そういうところに目を向けていきましょう。