●2021年1月24日(日)第一礼拝メッセージ「みことば、祈り、従順」 

 本日は、今年の当教会の前進目標「1.みことばに根差す。2,祈りに励む。3・従順に主に仕える。」から、ポイント3つ上げていきます。

①「みことばに根差す」…キリストが荒野で悪魔の試みを受けたとき、悪魔はキリストに「あなたが神の子なら、この石がパンになるように命じなさい」と言いました。するとキリストは「『人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つ一つのことばによる。』と書いてある。」と言われました。本来、人間は、天地を創造した真の神様のことばに従って生きるべき存在です。また、逆に聖書のことば無しに生きるということは、悪魔が支配するこの世にあって、暗やみの中を歩くようなものです。詩篇119:105には「あなたのみことばは、私の足のともしび、私の道の光です。」とあります。聖書を読み、神のことばに聞き従う生き方は、行く道を光に照らされて歩く賢い人と同じです。また、第二テモテ3:16には、「聖書はすべて、神の霊感によるもので、教えと戒めと矯正と義の訓練とのために有益です。」とあります。みことばは、その人を成長させ、神の人として整えるのです。

②「祈りに励む」…人間は誰でも、教えられなくても「祈る」という本性を潜在的持っているのかと思います。例えば、その人が思わぬ窮地に立たされたとき、その祈る対象は間違っていたとしても、切に何かに向かって祈るかと思います。しかし、ヨエル書2:30~32aには「わたしは天と地に、不思議なしるしを現す。血と火と煙の柱である。の大いなる恐るべき日が来る前に、太陽はやみとなり、月は血に変わる。しかし、の名を呼ぶ者はみな救われる。」とあります。世の終わり、恐るべき日が来たとき、「の御名」を知らないでいたら、どこに助けを求めてよいか分からずじまいです。この世界と万物を創造した真の神、そして、その方の元から来られた神の御子である救い主イエス・キリストの御名を呼び求めることによって誰でも救いを受けます。平穏な普段から、私たちは、主の御名を呼び求めること、すなわち祈りの習慣をしっかりと身に着けるべきです。ヨハネ14:14には「あなたがたが、わたしの名によって何かをわたしに求めるなら、わたしはそれをしましょう。」とありますので、イエス・キリストの御名によって祈りましょう。また、第一テサロニケ5:17には「 絶えず祈りなさい。」とあります。私たちは、毎日毎日、そして毎時毎分、祈り心をもって過ごしましょう。自分のためにはもちろん、家族のため、友のため、また、為政者のためにも祈り続けましょう。

③「従順に主に仕える」…みことばと祈りに励む、その二つだけでも十分と言えそうですが、今年の前進目標には、もう一つ、「従順」ということが加わっています。詩篇95:7~8には「主は、私たちの神。私たちは、その牧場の民、その御手の羊である。きょう、もし御声を聞くなら、メリバでのときのように、荒野のマサでの日のように、あなたがたの心をかたくなにしてはならない。」とあります。モーセを筆頭にして、エジプトから脱出したイスラエル人の多くは、約束の地カナンに着く前に、荒野において、「水がない」「食べ物がない」などと言って、神とモーセにつぶやきました。今日のクリスチャンは、かつて、悪魔の奴隷であって、イエス様の十字架による救いによって解放されました。ところが、そのことを忘れて、もう一度エジプトの奴隷生活に帰ろうとする当時のイスラエル人のようであってはなりません。ヨハネ15:5には「天の父は、私たちが実を結ぶために刈り込みをされる」とありますが、試練の時とか、祈りがきかれないときなどは、案外、次の祝福が用意されているものです。私たちは、それを忍耐して待ち望む従順の人、また信仰の人となりましょう。

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