●2021年5月16日(日)礼拝メッセージ「この福音によって救われる」

第一コリント15:1~11からです。この章は、イエス・キリストの復活、そしてキリストを信じる者がやがてキリストと同じように復活する、ということが記されています。冒頭の1~11節では、そのキリストの復活によってもたらされる「福音」について語られます。ポイント3つ上げていきます。

①「福音(良い知らせ)」(1節)…「福音」は、英語ではgospel、ギリシャ語ではεὐαγγέλιονで、その意味は「嬉しい知らせ」、「良い知らせ」です。現在、まだまだコロナ渦中にあります。先日、テレビでお茶が新型コロナウィルスに有効である(かもしれない)と言っていました。特に紅茶が良いとのこと、紅茶は以前から、解毒性があると聞いておりました。また、最近、100歳を超えた女性がコロナに感染したものの回復したそうです。彼女のモットーは楽しく生きることだそうで、気功をしたり、絵をかいたり、生き生きと生活しているようです。私たちも良いことは真似て、健康で元気に暮らせたらと思います。でも、いくら元気でも、人間いつかは世を去る時が来ます。クリスチャン新聞福音版6月号でキリスト教ジャーナリスト・守部喜雅さんの記事がありました。守部さんが大学生のとき、下宿で目が覚めると、裸電球の明かりが目に飛び込んできました。そのとき言い知れぬ空しい気持ちに襲われました。その一週間前に音楽会のチケットをもらっていて、それを思い出して、出かけました。そこに行くと、それはキリスト教の集会でした。会場の前面に「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです(ヨハネ14:6)」のことばが掲げてありました。そのとき「これは、とんでもない言葉だ。人間がこんなことを言えるはずがない。でも、もし、その方が神のような存在であるなら、言ってもおかしくない。」と思いました。それから、守部さんは近くの教会に出席するようになったのです。福音を聞いて真っすぐに受け止めた姿勢がすばらしいですね。

②「最も大切なこととして伝えたのは」(3節)…福音の中身です。それは、道であり、真理であり、いのちであるイエス・キリストが私たちの罪のために十字架で死なれたこと、葬られたこと、三日目に復活し、弟子たちに現われ、今も生きて、信じる者のために執り成してくださっています。このことを信じて受け入れる人はなんと幸いなことでしょう。但し、現実的にはクリスチャンは極少数です。今回筆者は「鰯の頭も信心から?」という手製のトラクトを作りました。これまで「キリスト者が説く仏教」というトラクトを作っておりましたが、八百万の神々を信仰する神道系の宗教に対するトラクトの必要性を感じていました。昔から、日本では神仏習合、本地垂迹説(ほんじすいじゃくせつ)という考え方があります。しかし、聖書に照らし合わせれば、結局、いずれも偶像礼拝であり、出所は同じです。言うまでもなく、この世界の創造主である真の神様は、偶像礼拝を最も嫌われます。ですから、なんとかして、霊の目が開かれるように忍耐をもって福音を届けましょう。また、私たち自身が、福音のことばをしっかり保ち、主の御名を呼び求めて、この救いと永遠の祝福の中に留まり続けましょう。

③「神の恵みによって、私は今の私になりました」(10節)…パウロはかつてユダヤ教の熱心な信者で、クリスチャンたちを迫害する急先鋒でした。しかし、エルサレムからダマスコ途上で聖霊なるキリストに出会い、その後、アナニヤから洗礼を受けると目からうろこのようなものが落ちて、霊の目が開かれて、人生が180度転換し、今度は誰よりも熱心なキリスト者となったのです。ヨハネ10:10には「盗人が来るのは、ただ盗んだり、殺したり、滅ぼしたりするだけのためです。わたしが来たのは、羊がいのちを得、またそれを豊かに持つためです。」とあります。私たちは、従順な羊として、牧者であるイエス・キリストのみ声に聞き従い、豊かな牧草、豊かないのちに与る者とならせていただきましょう。

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