●2021年5月2日(日)礼拝メッセージ「愛がなければ」 

●2021年5月2日(日)礼拝メッセージ「愛がなければ」 

第一コリント13:1~13から、ポイントを3つあげていきます。この章は「愛の賛歌」、「愛の章」とも言われ、キリスト教式結婚式においても、よく用いられています。第一コリント12,13,14章では、御霊の賜物について取り上げていますが、当時のコリント教会では、その御霊の賜物に対する健全な位置付けがされずにいて、この手紙の記者であるパウロは、賜物云々以前に、もっと大切な事、「愛」について言及しています。

「愛は寛容であり~」(4~8節)…1~3節では、どんなに素晴らしい賜物をもっていたとしても、愛がなければ何の値打ちもない、と言っています。そして、その「愛」とは何かについて語ります。アメリカの第16代大統領アブラハム・リンカーンは、奴隷解放の父とも呼ばれています。リンカーンの母ナンシーさんは、彼に毎日、聖書を読んで聞かせました。ナンシーさんはリンカーンが9歳のときに他界したのですが、亡くなる前に「エイブ。あなたは聖書をよく読み、聖書のみことば通り、神を愛し、隣人を愛する人になりなさい。」と言いました。1861年に大統領になったリンカーンは、その後、1863年に奴隷解放宣言を行なっています。そして、時は1963年のことです。リンカーンの奴隷解放宣言百周年記念大会がワシントンで行われました。そのとき、マルチン・ルーサー・キング牧師は「私には夢がある」という有名な演説をしています。「夢」というのは人種差別のない世の中になるということです。その翌年の1964年に公民権法が制定されました。つまり人種差別を禁ずる法律が施行されたのです。そのことがあって、キング牧師はノーベル平和賞を受賞しました。しかし、それを良く思わない白人過激派グループがキング牧師の自宅に爆弾を投げ込みました。そのときキング牧師は、「自分の敵を愛し、迫害する者のために祈りなさい。(マタイ5:44より)」を引用し、「憎しみには愛をもって報いなければなりません。」と言っています。

「不完全なものはすたれます」(10節)…預言も異言もすばらしい御霊の賜物ですが、完全な場所である永遠の天の御国では、もう必要ありません。しかし、「愛」は、すたれることがありません。天国は神の愛によって成り立っていると言っても過言ではないでしょう。今は鏡にぼんやり映るものを見ているけれども、その時は顔と顔を合わせて見ることになるのです。これは、一般的なイメージとは真逆でしょう。一般的なイメージとしては、「今がはっきり、天国はぼんやり」でしょう。しかし、本当は「今がぼんやり、天国ははっきり」なのです。イエス様は天国の門です。イエス様の十字架と復活を信じ、御名を呼び求め、やがて、主と顔と顔を合わせるときが来るのです。

「信仰と希望と愛」(13節)…私たちの教会は、宮城野区蒲生に建物がありました。2010年11月に建物を増築したとき、大工さんが、道路わきに十字架塔も無償で建造してくれました。しかし、翌年の2011年3月11日に東日本大震災が発生し、大津波によって建物は完全に消失しました。ところが、十字架塔は頑丈なコンクリートの土台の故に、斜めに倒れ掛かっていたものの、そこに残っていたのです。4月5日、ボランティアの方々など約10名で十字架塔を敷地の中央北寄りに再設置しました。その後、あるとき、その十字架塔を見に来ると、なんと、線香の燃えカスが残っていました。一般の方々に十字架の意味を正しく理解してほしいと思い、クリスチャンの看板業者さんに依頼し、ステンレス製の立派なパネルをコンクリート土台部分に取り付けました。それには第一コリント13:13のみことば「こういうわけで、いつまでも残るものは信仰と希望と愛です。その中で一番すぐれているのは愛です。」を記しました。キリストを信じる「信仰」、キリストによって与えられる「希望」、キリストの十字架による「愛」は消えることはありません。私たちは、その中でも特に「愛(アガペー‹αγαπη›)に目を留め、主に祈り、助けていただきながら、少しでも、その愛を証ししていきたいと思います。

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