●2021年6月27日(日)第一礼拝メッセージ「主が、私たちに望んでおられること」 

第一テサロニケ5:16~18から、ポイントを三つ上げていきます

①「いつも喜んでいなさい」…私たちは、仕事で成功したとか、学校で良い成績を取ることができたりすると嬉しいし、喜ぶものです。でも、ここで「喜びなさい」と言っているのは、そういう種類の喜びではありません。ピリピ4:4には「いつも主にあって喜びなさい。もう一度言います。喜びなさい。」とあります。「主にあって喜ぶ」とは、イエス・キリストの救いを受けて喜ぶということです。人間は生まれながらにして、罪の性質を持ち、神の怒りの下にあります。しかし、聖なる神のひとり子イエス・キリストが、この世に来られ、十字架によって救いを完成されました。キリストを信じ受け入れる者は、義と認められ、神と和解したのです。そのことを喜ぶのです。そして、それは単発的に終わるものではなく、持続していかねばなりません。神は真の礼拝者を求めておられます(ヨハネ4:23)。可能な限り、安定的に礼拝に参加し、神との関係を深めることが喜びとなるのです。

②「絶えず祈りなさい」…第一のポイントで話したように、キリストを信じ、神と和解することによって、魂の安らぎを得ることができます。確かに、心の奥底では救いの勝利を持っているのですが、現実生活の中で、不安とか思い煩いとか様々なものが押し寄せて来ます。逆説的に言うならば、それは、神様が「祈りなさい」というサインを示しているとも言えます。ピリピ4:6~7には「何も思い煩わないで、あらゆる場合に、感謝をもってささげる祈りと願いによって、あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい。そうすれば、人のすべての考えにまさる神の平安が、あなたがたの心と思いをキリスト・イエスにあって守ってくれます。」とあります。祈っていると、不思議と心落ち着くようになるのです。また、祈りを通して、神は私たちに行くべき道を示してくれたり、グッドアイデアを与えてくれたりもします。祈ることによって与えられるものは計り知れないでしょう。

③「すべてのことについて感謝しなさい」…第二のポイントは「祈りなさい」ということで、確かに祈ることによって、必要が満たされたり、問題が解決されたりするものです。しかし、何でもかんでも祈りが常にきかれるわけではありません。むしろ、思い通りにいかないことのほうが多いかもしれません。そんなとき、どうしたらよいでしょう。ここは、案外、重要なポイントです。「すべてのことについて感謝する」、つまり、祈りがきかれたら、もちろん感謝する。たとい、祈りはきかれなくても感謝するのです。それは、どんなときも全知全能の神様の主権の下にあるということを忘れないでいるということです。当・つばめさわ教会の建物が今、建っているのですが、そこに至るまでは、そう簡単ではありませんでした。3.11大震災後、多くの方々から支援を受けましたが、さて、土地を得て、そこに教会の建物を建てるというのは、容易なことではありません。でも、そのこと一点に集中するのではなく、その都度、目の前に置かれたことを一つ一つ実行し、あとは、神が働いてくださるときを待ち望むしかありませんでした。そういう中で、2013年の秋、大きな動きがありました。クリスチャンの某団体から、土地と基礎工事以外の建物部分を無償提供するというプロジェクトが舞い込んだのです。もちろん、お受けしました。但し、その後の土地探し、それから設計士さん、工事業者さんの選定など、スムースに行ったことはありません。でも、主権は聖なる神様が握っておられますから、すべてに感謝しつつ、時を待ちました。結局、2016年2月23日、つばめさわ教会の建物が完成しました。いつも喜び、絶えず祈り、すべてのことを感謝しましょう。それは、主が私たちに望んでおられることですから。

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