●2021年6月13日(日)礼拝メッセージ「主よ、来てください。(マラナ・タ)」 

第一コリント16:1~24から、コリント人への手紙第一の最後の章です。この章では、この手紙が書かれた背景などを知ることができます。このときパウロはエペソにいたようです。コリントからステパナたち三人がパウロのもとに来て、コリント教会の現状などを訴えたのでしょう。それに対し、パウロは手紙を書き、それをステパナたちが携えてコリントに戻るようです。その際、テモテも同行するのでしょう。ここから、ポイント3つ上げていきます。

①「広い門と反対者」…パウロはアンテオケ教会を拠点にして、小アジア、マケドニヤ、アカヤなどの地域に福音を宣べ伝え、次々と教会が設立されていきました。また、パウロは異邦人のための宣教師としての自覚を持っていました。しかしパウロは、イエス・キリストの福音がエルサレムで始まり、エルサレム教会が原点になっていることを忘れていませんでした。それで、これまでの働きの実である各教会から献金を集め、エルサレム教会にささげようとしていました。そのために選ばれた人が、エルサレムに献金を携えて行くとき、よければ自分も同行すると言っています。しかし、今しばらくは、エペソで福音宣教のための広い門が開かれており、反対者も大勢いるから、と言っています。この言い方はパウロらしい表現かと思います。他の人であるなら、「門が開かれているが、反対者が多いので止めます」と言ってもおかしくありません。しかし、パウロは反対者までも、肯定的に受け止めています。それは、かつてパウロ自身がクリスチャンを迫害した反対者の代表のような人物だったからでしょう。かつての自分のような人も救われてほしいと願っていたからなのでしょう。

②「いっさいのことを愛をもって行ないなさい」…10~11節でテモテのことが記されています。テモテは評判の良い人で、パウロはテモテのことを気に入っていたようです。ただ、テモテはいくらか気の弱い面もあったようで、テモテがコリントの教会へ行ったなら、彼に気を配るように、軽んじないようにと勧めています。またアポロにも同行を促していますが、彼は行かないとのことです。アポロはパウロと張り合うほど雄弁であり、その点、気弱なテモテをカバーできると考えたのかもしれません。ですから、13~14節で、突然、「目を覚ましていなさい。堅く信仰に立ちなさい。男らしく、強くありなさい。いっさいのことを愛をもって行いなさい。」と勧めているのは、テモテのことを思ってのことかもしれません。特に「愛をもって行ないなさい」ということを言いたかったのではないかと思われます。細やかな気配りをしているのはパウロ自身である、とも言えます。

③「主よ、来てください。(マラナ・タ)」…15節で、ステパナの家族はアカヤの初穂であって、聖徒たちのために熱心に奉仕したと言っています。今日、主にあるどこの教会にも、このステパナの家族のような人たちがいて、彼らのような人たちによって教会が支えられているのです。パウロ自身もステパナ、ボルトナト、アカイコがパウロに会いに来た時、喜び、コリント教会の足りない分を補ってくれた、と言っています。このような人々こそ評価すべきでしょう。そして、22節では「主を愛さない者はだれでも、のろわれよ。主よ、来てください(マラナ・タ)。」と言っています。昔、ノアの時代に、地は水によって滅びました。今、地球上に生きている人々は全員、ノアの子孫です。そして、やがて、この世界は火によって滅ぼされる時が近づいています。第二ペテロ3:12には「そのようにして、神の日の来るのを待ち望み、その日の来るのを早めなければなりません。その日が来れば、そのために、天は燃えてくずれ、天の万象は焼け溶けてしまいます。」とあります。「その日の来るのを早める」というのは、主を愛し、福音宣教が満たされることによって実現すると思われます。どうぞ、主にあるクリスチャン一人一人に聖霊が臨み、主を愛する思いであふれ、福音宣教が力強く前進しますように。

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