●2021年7月4日(日)礼拝メッセージ「この方には『しかり』だけがある」 

第二コリント1:12~24からです。パウロは、コリント教会への訪問日程が変更になったことで、批判を受けたようです。それに対してパウロがここで弁明しています。ポイントを三つ上げていきます

①「聖さと神から来る誠実さ」…使徒18:11によると、パウロはコリントに行き、そこで1年半、腰を据えて宣教活動をしました。その結果、コリント教会が建て上げられたのです。それは正に、聖さと神から来る誠実さを持って実行したのです。ところが今、パウロの働きの実であるコリント教会から、訪問計画の変更のことで、批判を受けています。パウロとしては心苦しかったに違いありません。今日の私たちも、何も悪いことをしていない、むしろ真面目にやっているのに、思いがけず非難を受けることがあったりします。そんなとき、どうしたらよいでしょう。ヘブル4:15には「私たちの大祭司は、私たちの弱さに同情できない方ではありません。罪は犯されませんでしたが、すべての点で、私たちと同じように、試みに会われたのです。」とあります。イエス様は何一つ罪のないお方なのに、十字架に架けられて殺されてしまいます。ですから、キリストは、そういった苦しみを誰よりもご存じです。創世記でエジプトへ奴隷として売られたヨセフは、濡れ衣を着せられ牢獄に入れられてしまいます。その試練のあと、ヨセフはパロ王の夢を解き明かし、いきなりエジプトの総理大臣になってしまいます。かつて何の罪もないヨセフを訴えたポティファルの妻は、このときどんな心境だったでしょう。キリスト者は、どんなときも、主にあって誠実であり続けたいと思います。

②「この方には『しかり』だけがある」…この1章の記事だけでは把握できませんが、パウロはコリント訪問計画を二度ほど変えています。それは、決して自分の気まぐれからではなく、神の導きに従って行なっている、そういうことを言っています。キリストには「しかり」だけがあるのですから、神の導きに従っているのなら、「しかり」です。先日、筆者は息子から、あるデータをメールで送ってほしいと頼まれました。送信すると、「まだ届いてない」と言われました。ですから「いや。確かに送信した」と伝えると、「ああ。来た、来た。迷惑メールボックスに入っていた」と言いました。これまで何回もやり取りしているはずなのに、どうしたことでしょう。コンピュータの処理が間違って迷惑メールになっても、父親である筆者の送信したメールであることに変わりはありません。つまり、イエス様はいつも真実な方であるということです。20節に「この方によって『アーメン』と言い、神に栄光を帰する」とあるように、私たちは、聖書のみことばを聞いたら「アーメン」と言い、神に栄光を帰すると同時に、その信じたみことば通りになるのです。

③「あなた方の喜びのために働く協力者」…例えば、お医者さんは、患者さんの容態を診察し、そこから処方を考え、その患者さんに相応しい治療をします。筆者自身も二十数年前でしたが、風邪をこじらせたとき、お医者さんの適切な処置によって、回復しました。でも、基本的には、お医者さんが患者さんの全てを治すのではなく、聖書的には、人間を生かしておられる創造主である真の神様(一般論的な解釈では、人間の体の自然治癒力)が治すのであって、お医者さんは、その協力者と言えます。このことは、当時のパウロやテモテなどの教会の牧師や伝道者の働きにも当てはまります。国や会社、そして教会もですが、どんな組織でも、規律と自由とのバランスが大事です。規律面が強すぎると不自由になり、自由が過ぎると規律が失われます。筆者自身、牧会者の立場にいますが、人々の信仰の喜びの協力者でありたいと願います。また、たとい牧会者の立場でなくても互いのために何か協力できることがあれば、祈り合い、支え合いましょう。

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