●2021年8月15日(日)礼拝メッセージ要旨「キリストの使節」 

第二コリント5:11~21からです。本日もポイントを三つ上げていきます

①「キリストの愛が私たちを取り囲んでいる」…先日、テレビで「イマジン」という歌が歌われ、歌詞が字幕で映し出されていました。あのビートルズのジョン・レノン氏が作った曲で大ヒットしたようです。世界平和を願った歌だということですが、歌詞の冒頭で、「天国も地獄も見えないから存在しない」という意味の言葉がありました。聖書の教えとは異なります。第二コリン5:10には「なぜなら、私たちはみな、キリストのさばきの座に現れて、善であれ悪であれ、各自その肉体にあってした行為に応じて報いを受けることになるからです。」とあります。そのさばきを受けることがないように、キリスト自らこの世に来られ、十字架による救いの道を開いてくださいました。14節で、そのキリストの愛が私たちを「取り囲んでいる」とありますが、2017年訳では「捕えている」になっています。英語ではcompelという語が使われ「支配する」という意味です。つまり、キリストが私たちのために死なれたということは、私たちは、この方のために生きるのです。キリストに従って生きる、その道しかないということです。先に取り上げた「イマジン」の世界観とは大きく異なります。パウロはピリピ1:21で「私にとっては、生きることはキリスト、死ぬことも益です。」と言っています。

②「その人は新しく造られた者です」…東京五輪で金メダルを獲得した選手が、地元に凱旋し、市長さんを表敬訪問したら、あろうことか、市長さんにメダルを嚙まれてしまいました。市長さんへの非難とメダル交換の要望の声が多く上がっていました。しばらくして、メダルは新しいものに取り換えてもらえるとのことで、ひとまず落着しました。メダル(物)は新品交換が可能ですが、人間は交換不可能です。でも、キリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。人間は誰でも失敗、罪、咎を持つものです。キリストは、私たちの罪、咎をその身に負われました。第一ペテロ2:24には「そして自分から十字架の上で、私たちの罪をその身に負われました。それは、私たちが罪を離れ、義のために生きるためです。キリストの打ち傷のゆえに、あなたがたは、いやされたのです。」とあります。イエス・キリストと共に二人の犯罪人も十字架に架けられていました。二人のうちの一人は、キリストに「御国の位にお着きになる時は、私を思い出してください」と願うとキリストは「あなたはきょう、わたしととみにパラダイスにいます」と言われました。誰でもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。

③「キリストの使節」…高校野球夏の甲子園大会に初出場した東北学院高校が一回戦で強豪校を破り、校歌が歌われました。キリスト教を建学の礎とするだけあって、その歌詞の中には「世の光」ということばが使われていました。マタイ5:14には「あなたがたは、世界の光です。山の上にある町は隠れる事ができません。」とあります。クリスチャンは、キリストによって新しくされ、この世において光を輝かせることが期待されています。また、和解の務めという使命が与えられているのです。クリスチャンはキリストの体なる教会(エクレシア)に連なり、教会から出て行って、教会の一部として、キリストの使節としての務めを担っているのです。職場、学校、家庭、様々な場所に遣わされた教会の一部であり、キリストの使節なのです。

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