●2021年8月22日(日)礼拝メッセージ要旨「今は恵みの時」 

第二コリント6:1~10からです。本日もポイントを三つ上げていきます

①「今は恵みの時」…東京五輪に時を合わせてコロナ感染者が拡大しています。報道では、五輪が間接的感染拡大要因になっているとしていましたが、果たして間接的でしょうか。筆者の見解は違います。これは五輪が直接的に影響を及ぼした以外の何物でもないと思います。引き続き、パラリンピック関係者の入国があり、パラ終了まで、まだまだ日数があり、コロナ収束を祈るばかりです。ルカ21:10~11には、世の終わりに起こる前兆として、民族対立、大地震、疫病、飢饉、恐ろしいこと等が挙げられています。ここのところ一、二週間だけでも日本各地における大雨の被害、世界各地における熱波による山火事、政治問題など、次々と災難が勃発しています。ここで私たちは、これらのことをどう受け止めたら良いのでしょうか?マタイ10:29には「二羽の雀は一アサリオンで売っているでしょう。しかし、そんな雀の一羽でも、あなたがたの父のお許しなしには地に落ちることはありません。」とあります。この世で起こる全ての現象は、聖なる神の許しの下にあります。主なる神は、コロナや災害を通して、人々に警告をしておられるのではないでしょうか。つまり、「今は恵みの時であるから、遅れないうちにイエス・キリストの父なる神に立ち返りなさい。」と語りかけていると思われます。

②「自分を神のしもべとして推薦している」…使徒の働き16章で、パウロは占いの霊に憑かれた女から悪霊を追い出したゆえに、その主人たちから訴えられ、鞭打たれ、牢獄に入れられ、足かせをはめられます。しかし、パウロはシラスと共に獄舎で祈りつつ賛美していると、大地震が起き、牢のとびらが開きます。看守は囚人たちが逃げたと思い、自害しようとしますが、パウロが止めます。そのことがあり、看守は自分の家族と共にキリストを信じ、バプテスマを受けます。この記事で驚くべきことは、パウロとシラスが鞭打たれ傷も痛むであろう獄中で、足かせをはめられながらも祈りつつ賛美をささげていたことです。正に神のしもべとして推薦されるべき姿ではないでしょうか。イザヤ6章で、イザヤは主なる神とみ使い(セラフィム)を見て「ああ。私は、もうだめだ。私はくちびるの汚れた者で、くちびるの汚れた民の間に住んでいる。しかも万軍のである王を、この目で見たのだから。」と言っています。そのとき、み使いがイザヤの口に聖霊による火を触れさせて「あなたの不義は取り去られた~」と言っています。そして、主がイザヤに「誰を遣わそう。~」と言われると、イザヤは「ここに私がおります。私を遣わしてください。」と言うのです。私たちも聖霊に触れていただき、きよめられ、「私を遣わしてください」と、自分自身を神のしもべとして推薦する者とならせていただきましょう。

③「人に知られないようでも、よく知られ」…このごろ、「インフルエンサー」という言葉を耳にします。その意味は社会的影響力のある人のことを、そう言うのだそうです。語源的には風邪のインフルエンザと同じでしょう。逆にあんまり、社会的影響力のない人のことは「マイクロインフルエンサー」と言うのだそうです。さて、9節でパウロ「(私たちは)、人に知られないようでも、よく知られ」と言っていますが、これはどういう意味でしょうか。確かにクリスチャンの多くは、一般的に見て、多くの人々から無視されているようにも見えます。しかし、実は、クリスチャンは多くの人々が見ていないようで、注視されているのではないかと思います。つまり、「あの人はクリスチャンだと言うけれど、本物のクリスチャンだろうか。本当に堅く立っているだろうか。クリスチャンらしく生きているだろうか」と観察されているのではないでしょうか。偶像としっかり決別できているか、酔っ払いではないか、不品行ではないか、本物か、偽物か、と。そういう意味では人々に注目され、良く知られているのです。

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