第二コリント6:11~18からです。本日もポイントを三つ上げていきます
①「心を広くしてください」…パウロがコリントの教会に宛てた手紙は、基本的にはコリント教会にある問題点を正すためです。そういう中で、11~13節によりますと、パウロはコリント教会の人々と意思疎通ができていないということを感じていたようです。親が子どもに対するような気持で、彼らに「心を広くしてください」と言っています。彼らはパウロに対して心を閉じていたようです。エペソ4:2~3には「謙遜と柔和の限りを尽くし、寛容を示し、愛をもって互いに忍び合い、平和のきずなで結ばれて御霊の一致を熱心に保ちなさい。」とあります。パウロとコリント教会の人々にかぎらず、クリスチャン同士であるならば、互いに相手に歩み寄り、イエス様にあって一つにされ、御霊の一致を熱心に保っていきたいと思います。
②「彼らと分離せよ」…第一のポイントは「心を広くしてください」でしたが、この「心を広くする」ということの具体的行動として、「この世の汚れから分離せよ」ということを言っています。パウロは「不信者とつりあわぬくびきをつけるな。正義と不法につながりはない。光と暗やみに交わりはない。キリストとベリアル(ヘブル語で無価値を意味するサタンのこと)に調和はない。信者と不信者に関わりが無い。聖なる神の宮と偶像に一致はない。」と立て続けに語っています。ここで、誤解してはならないことは、クリスチャンは世の不信者と全然関わってはいけないということではありません。もしそうなら、この世から出て行かねばならないでしょう(Ⅰコリント5:10)。結婚に関して、クリスチャン同士で結婚するのが理想です。でも、信者同士だから万全という保証はないし、不信者が信者になることも十分あります。要は、神の導きの下で結婚することが大事です。この第二のポイントの「分離せよ」というのは、ちょうどコップの中の水と油が一緒になっていても、しっかり分離しているように、信者は世の罪、汚れに飲み込まれないということです。むしろ、地の塩、世の光として、回りの人々に感化を及ぼしていくことです。
③「彼らはわたしの民となる」…当教会では「神様の宝物」というトラクトを取り寄せ、地域に配布しております。申命記7:6には「あなたは、あなたの神、主の聖なる民だからである。あなたの神、主は、地の面のすべての国々の民のうちから、あなたを選んでご自分の宝の民とされた。」とあり、また、第一ペテロ2:9には「しかし、あなたがたは、選ばれた種族、王である祭司、聖なる国民、神の所有とされた民です。それは、あなたがたを、やみの中から、ご自分の驚くべき光の中に招いてくださった方のすばらしいみわざを、あなたがたが宣べ伝えるためなのです。」とあります。イエス・キリストを信じる信仰によって、私たちは、聖なる神様の宝の民とされているのです。最近、筆者が読んで教えられたある本には、次のようなことが書かれてありました。「クリスチャンは、キリストのからだなる教会の一部として、教会から出て行って至る所に遣わされている。そして、まず、遣わされている地域の人々を祝福しなさい。」と。人々を祝福すべきクリスチャンが、案外、「あの人は、ここが悪い、あそこが駄目」などと言って祝福どころか、呪いの言葉になっていないか注意が必要です。クリスチャンは祝福を受け継ぐために召されたのですから、祝福を与える者でありたいと願います(第一ペテロ3:9)。