●2021年9月12日(日)礼拝メッセージ要旨「この恵みのわざに富む」

第二コリント8:1~16からです。まず、この章の背景です。パウロは、エルサレムの教会のための献金を勧めています。また、当時、マケドニヤの諸教会が熱心にエルサレム教会のために献金をしていたので、彼らのことを例にあげ、恵みのわざ(献金)の祝福を語っています。今回もポイントを三つ上げていきます

①「まず自分自身を主にささげる」…マケドニヤの諸教会とは、ピリピ、テサロニケ、ベレヤの教会などでしょう。彼らは、エルサレム教会のために惜しみなく施しました。それは、まず、自分自身を主にささげていたのです。ローマ12:1~2には「そういうわけですから、兄弟たち。私は、神のあわれみのゆえに、あなたがたにお願いします。あなたがたのからだを、神に受け入れられる、聖い、生きた供え物としてささげなさい。それこそ、あなたがたの霊的な礼拝です。この世と調子を合わせてはいけません。いや、むしろ、神のみこころは何か、すなわち、何が良いことで、神に受け入れられ、完全であるのかをわきまえ知るために、心の一新によって自分を変えなさい。」とあります。この世と調子を合わせることなく、自分は聖なる神に所属するキリストのしもべであるということを自覚して行動しましょう。

②「この恵みのわざにも富むようになる」…パウロは7節で、全てのことに富むようになりなさい、と言っています。 A.信仰に富むように。ヘブル11:6には「信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。」とあります。 B.ことばに富むように。コロサイ4:6には「あなたがたのことばが、いつも親切で、塩味のきいたものであるようにしなさい。そうすれば、ひとりひとりに対する答え方がわかります。」とあります。 C.知識に富むように。この世の知識というよりも、聖書のみことばをしっかり蓄えましょう。 D.あらゆる熱心に富むように。ローマ12:11には「勤勉で怠らず、霊に燃え、主に仕えなさい。」とあります。霊に燃えるには、みことばと祈りに励むことです。 E.愛に富むように。この「愛」はギリシャ語でαγάπη (アガペー)です。やはり、救霊の愛に富むということでしょう。 F.そして、恵みのわざに富むように。ルカ21:1~4で、貧しいやもめがレプタ銅貨二枚を献金箱に投げ入れました。それをご覧になっていたキリストは、「彼女は誰よりも多くささげた。なぜなら、生活費の全部をささげたから」と言われました。その後、彼女がどうなったのか聖書にはしるされていませんが、主は、その婦人にきっと良くしてくださったに違いありません。

③「キリストの貧しさによって富む者となる」…さてここで、「富む者」とはどんな人をイメージするでしょうか。例えば、その人が世界中の富を一人占めして、誰にも分け与えないとしたら、その人は、富む者と言えるでしょうか。それどころか守銭奴のレッテルが貼られるに違いありません。富む者とは「与える人」でしょう。ルカ6:38には「与えなさい。そうすれば、自分も与えられます。人々は量りをよくして、押しつけ、揺すり入れ、あふれるまでにして、ふところに入れてくれるでしょう。あなたがたは、人を量る量りで、自分も量り返してもらうからです。」とあります。また、使徒の働き20:35には「受けるよりも与えるほうが幸いである」とあります。他者のことを思い、他者のために与える人こそ富む者です。イエス・キリストは天においても地においても一切の権威を持ち、全てのものを実際に所有する方です。この、この上なく富む方が、家畜小屋で人となって生まれられ、貧しい生活をされ、公生涯を過ごされたときは決まった住む家さえ持っておられませんでした。この方が、多くの人の罪をその身に負い、十字架で死なれ、葬られ、死後三日目に復活し、今も生きておられ、天の父なる神の右の座に就いておられます。私たちは、このキリストを信じ、この方のように、与える者となり、真の意味で富む者となりましょう。

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