●2022年5月29日(日)礼拝メッセージ要旨

ピリピ3:1~11から、「キリストを知っていることの素晴らしさ」という題でポイント4つ上げて行きます。

①犬に気を付けなさい… 「犬」というのは、ユダヤ主義者のことです。イエス・キリストを信じた者がユダヤ教の習慣に悩まされるべきではありません。日本においては、似て非なるキリスト教の異端に注意が必要です。また、同じプロテスタントでも、自由主義神学(liberalism theology)にも注意が必要です。自由主義神学とは、自分たちの考える理屈に合わない聖書の部分は受け入れないとする教えです。私たちの教会は福音主義(evangelism)であり、根本主義(fundamentalism)でもあり、聖書に記されていることは、全て真の神のことばとして受け入れる立場(当たり前ですが)です。

②人間的なものにも頼る…クリスチャンは二つの世界に生きています。一つは現実の見える世界、もう一つは聖書のみことばに基づいた見えない世界です。この世界は見えない真の神によって創造されたとする信仰の世界を意識することは大事ですが、一方、見える世界をおろそかには出来ません。例えば、出エジプト記18章で、エジプトを脱出したモーセの所に、舅のイテロが訪ねてきました。イテロは、エジプトから脱出した60万人(男だけで)を裁くモーセの行動を観察して、あまりに忙しくしているモーセに対して、もっと合理的に働くように忠告しました。モーセは舅の忠告を素直に受け入れ、実行に移します。使徒23章で、パウロはエルサレムの議会で話をしました。その後、ある人々が陰謀を企て、再びパウロを議会に呼び、その機会に乗じて彼を殺そうとしていました。しかし、パウロの甥がその計画を知り、パウロを助けました。「人事を尽くして天命を待つ」ということわざがあります。私たちも、人間的なものに頼り、最善を尽くしながらも、あとは神に祈り、神に委ねるという姿勢が賢明です。

③キリストを知っていることの素晴らしさ…パウロは「キリストを知っていることの素晴らしさ」と表現をしていますが、逆の言い方をするなら「キリストを知らないでいるなら、それは悲しく、寂しく、空しく、恐ろしい」と言えるのではないでしょうか。死の先にあるのは暗闇であり、最終到達点は墓場であり、そこに希望はありません。しかし、キリストを知ることは、キリストの十字架による救いがあり、信じる者の罪が赦され、義とせられ、永遠の希望を与えられるのです。その人の人生は、永遠の神とともに歩むのであり、もはや、他人との競争や自分の名誉などには執着がありません。ただ、創造主であり、全能者であり、且つ、救い主である方の御名が崇められることを求める生き方となるのです。「こういうわけで、あなたがたは、食べるにも、飲むにも、何をするにも、ただ神の栄光を現すためにしなさい。(第一コリント10:31)」

④復活に達したい…パウロは、「キリストの死と同じ状態になり、そこから復活に達したい」と言っています。パウロは聖霊に満たされ、聖霊が彼にそう言わせたのでしょう。パウロのような霊的高嶺の域に達していない者にとっては、素直に共感出来ないかもしれません。ただ、別の表現をするとすれば、「キリストに似た者となる」ということなら理解できるでしょう。創世記1章で、創造主がアダムを形造ったとき、神に似せて造りました。第二コリント3:18には「私たちはみな、顔のおおいを取りのけられて、鏡のように主の栄光を反映させながら、栄光から栄光へと、主と同じかたちに姿を変えられて行きます。これはまさに、御霊なる主の働きによるのです。」とあります。私たちは、キリストに心を向けていきましょう。WWPP、つまり、礼拝(Worship)、聖書のことば(Word)、祈り(Pray)、宣教(Preach)、を通してキリストに似た者となるのです。特に「祈り」が大事です。

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