●2022年9月25日(日)礼拝メッセージ要旨  

第一テサロニケ3:1~13から「主にあって堅く立つ」という題で、ポイント3つ上げていきます。     

1.動揺しない…パウロのテサロニケでの宣教活動は数週間だったと思われます。しかし、それでも多くの決心者が起こされました。しかし、一方で、迫害も厳しく、パウロたちはベレヤに逃れ、そこでまた宣教しました。ところが、そこにもテサロニケのユダヤ人が妨害しに来ました。そこで、パウロはテモテとシラスをベレヤに残してアテネに行きました。その後、パウロはテモテと再会し、彼を、気に掛けていたテサロニケに遣わしたと思われます。その後、コリントで、パウロはテモテから、テサロニケ教会の人々の様子を聞くのです。ところで、現在、どこの教会の牧師さんでも同じだと思いますが、例えば、ある一人の方がイエス・キリストを信じて、洗礼を受けるとします。そのとき、その人がその信仰を持ち続けるどうかということは現実的に気になるところです。様々な困難が押し寄せ、それでも動揺することなく、信仰を持ち続ける人であってほしいと願います。パウロは、かつてユダヤ教の熱心な信者で、クリスチャンを迫害していました。その彼が、聖霊なるキリストに出会い、しかも、キリストから福音宣教の使命を授けられます。すると、今度は誰よりも熱心なキリストの伝道者になりました。人それぞれ、その証しは異なりますが、何らかのキリスト体験があるのではないでしょうか。でも、そういった体験が全てではありません。ヨハネ15:5には「わたしはぶどうの木で、あなたがたは枝です。人がわたしにとどまり、わたしもその人の中にとどまっているなら、そういう人は多くの実を結びます。わたしを離れては、あなたがたは何もすることができないからです。」とあります。しっかりとキリストに連なり、多くの実を結ぶ者となりましょう。

2.主にあって堅く立つ …パウロはテモテから報告を聞きました。テサロニケの人々がキリストを信じる信仰を持ち、パウロたちに会いたがっていることも聞き、喜びました。そしてパウロは8節で「主にあって堅く立っていてくれるなら、生きがいがある」と言っています。イエス・キリストを信じる信仰持ち、堅く立つためには、「気合」や「ファイト」も良いのですが、それよりも、私たちの信仰生活が習慣化することが望ましいでしょう。あの2015年、ラグビーワールドカップで、五郎丸選手はゴールキックの際、独特のポーズをして、それが「ルーティン」と言われて一時脚光を浴びました。朝起きたら顔を洗うことが習慣化しているように、礼拝、デボーション、証しの生活などが、習慣(ルーティン)化することにより、曲がった道に行くことを防ぐことが出来るのです。正に、主にあって、堅く立つことができるのです。

 3.愛を増させてください …イエス・キリストを信じる信仰が守られていくには、「愛」も必要です。それは互いに励まし合うということでしょう。日本語で「愛」は色々な意味で使われています。ですから誤解されやすいのですが、私たちが生まれながらに持っている思いや感情は時々間違えることがあります。神の愛(アガペー)が必要です。箴言3:5には「心を尽くして主に拠り頼め。自分の悟りにたよるな。」とあります。自分の悟りなどは当てになりません。全知全能の神様、イエス様に拠り頼むことです。パウロは、テサロニケ教会の人々のために、「あなたがたの互いの間の愛を、またすべての人に対する愛を増させ、満ちあふれさせてくださいますように。」と祈っています。また、今日、主の再臨の時が近づいています。私たちは、主の前にへりくだり、父なる神の御前で、聖く、責められるところのない者でありたいと願います。

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