●2022年12月11日(日)礼拝メッセジ要旨  

 第1テモテ4:1~16からです。「敬虔のための鍛練」という題で、ポイントを3つ上げていきます。

1.神のことばと祈りとによって…イエス・キリストの福音がエルサレムから始まって、今日、世界中に宣べ伝えられています。この手紙が書かれた当時は福音宣教の開始から、まだ数十年しか経過していません。しかし、それでも、最初の純粋な福音を歪めようとする人たちもいました。具体的には3節にあるように「結婚を禁じたり、食物を断つことを命じたり」することです。そういったことは、他人に強要することではありません。食物に関することですが、近頃は、人工的に作られたものより、自然に存在する植物などの食べ物が良いとされます。それは元々、神様が私たち人間のために造ってくださったものだからです。もちろん、植物の中には人間の毒になるものがあって、注意が必要です。但し、毒草でも、医薬品などに用いられるものもあります。そうかと言って、素人が浅い知識で扱うべきではありません。私たちは天の神様が与えてくださったものを感謝していただくのです。でも、時に、体に芳しくないものを摂取することがあるかもしれません。その時、クリスチャンには神のことばと祈りがあります。

2.敬虔のために自分を鍛練…最近は、「ただ長生きをすれば良いというのではなく、健康寿命を延ばす」ということが言われています。質の良い食事、睡眠、適度な運動が良いとされています。特に、エクササイズで体を伸ばしたり力をかけたりゆるめたりが効果的なようです。そういった肉体の鍛練も大事ですが、もっと良いのは敬虔のための鍛練(エクササイズ)です。「誰それは、敬虔なクリスチャンです」などと言うのを聞くことがあります。敬虔なクリスチャンでありたいものですが、焦ることはありません。一歩一歩、前に向かっていけばよいのです。ヘブル5:7には「キリストは、人としてこの世におられたとき、自分を死から救うことのできる方に向かって、大きな叫び声と涙とをもって祈りと願いをささげ、そしてその敬虔のゆえに聞き入れられました。」とあります。イエス・キリストは、十字架のために捕らえられる前に祈られました。それは、十字架に向かって行くことから来る苦しみ、それを回避するに余りある力を持っておられるけれども、それをすればご自分の使命を果たすことはできません。その葛藤からでしょうか?大きな叫びと涙の祈りをされたのです。そんなキリストと比べることは到底出来ませんが、私たちにも時折、生きて行く上で様々な葛藤があるのではないでしょうか。私たちも切に祈り求め、主のみ旨の道を一歩一歩、前に進んで行きましょう。

3.信者の模範になりなさい…パウロはテモテに、「年が若いからといって軽く見られないようにしなさい。言葉、態度、愛、信仰、純潔においても信者の模範になりなさい」と、言っています。特に、私たちが語る言葉、そして純潔であるということは大切です。総合的には、当教会で提唱しているWWPPを心掛けることです。Worship(礼拝)、Word(、みことば)、Pray(祈る)、Preach(宣教する)です。最近YouTubeで、91歳の介護士の女性のことを知りました。元々、彼女は看護師で、老人福祉施設の施設長をしていたとのこと。施設長を辞任したあと、介護士の一人として、その施設で今も現役で働いているとのことです。彼女の主な仕事は、施設の老人たちに声を掛けることです。ただ声掛けだけには終わらず、その老人の背景を聞いたりするそうです。そうすることによって、その老人の問題が解決することがあるようです。クリスチャンに置き換えればPreach(宣教する)です。直接、宣教しなくても、主にあって、人と関わっていくのは良いことです。

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