●2024年2月11日(日)礼拝メッセージ要旨  

ヨハネ第一の手紙3:13~24から「互いに愛し合う」という題でポイント3つ上げていきます。  

1.死からいのちに移った…イエス・キリストを信じる信仰によって、私たちは永遠のいのちを得ます。そうかと言って、その永遠のいのちを受けたクリスチャンであっても、日々「永遠のいのち」を意識して生活するということはありません。しかし、何かが起こった時、例えば大災害や病気などにより、自分や身近な人に命の危険が襲ってきたならば、直ちに日常の生活はストップし、「死」ということ、そしてそれに関連して、たましいのことに思いが及ぶのではないでしょうか。ですから、私たちは、自分と自分の回りの人々のたましいのことについて、日頃から気にかけておく必要があります。さて、この聖書の個所では「神の愛」ということに焦点を当てています。私たちがキリストによって永遠のいのちを受けているなら、必然的に「神の愛」も心に受けているということになります。使徒の働き2:38でペテロは「悔い改めなさい。そして、それぞれ罪を赦していただくために、イエス・キリストの名によってバプテスマを受けなさい。そうすれば、賜物として聖霊を受けるでしょう。」と言っています。それは、キリストを信じる信仰によって、その人の心に聖霊が注がれ、その聖霊によって永遠のいのちと神の愛が与えられているのです。

2.神の愛の実践…第一ヨハネ3:16はヨハネの福音書3:16と並んで有名な聖句と言われております。「キリストは、私たちのために、ご自分のいのちをお捨てになりました。それによって私たちに愛がわかったのです。ですから私たちは、兄弟のために、いのちを捨てるべきです。」とあります。クリスチャンの小説家・三浦綾子さん著の「塩苅峠」は有名で、映画化されてもいます。その小説のモデルとなった長野政雄さんは、北海道の塩苅峠を走る汽車に乗っていました。機関車と客車の連結が外れ、客車が坂道を逆走して下って行くのを、自分の体を犠牲にして客車を止め、乗客を守ったのです。長野さんはクリスチャンで、いつも「余は感謝して全てを神に捧ぐ。苦楽生死均(ひと)しく感謝。」と書いた書をいつも携帯していたそうです。これは極めて特別な事例ですが、その精神(スピリット)は受け継ぎたいところです。17節には「世の富を持ちながら、兄弟が困っているのを見て、あわれみの心を閉ざすな」と言う内容が記されていますが、助けたいと思っていても、その、世の富を持っていなければ兄弟を助けることはできません。要するに、出来ることしか出来ないので、出来ることを行なえばよいのです。私たちは、接する回りの人々に対して、神の愛により、自分の出来る最善を行ない、またその人の幸いを祈り求めましょう。

3.互いに愛し合う…もし、世界中の人々が互いに愛し合うなら、決して地球上に戦争は一つも起こらないでしょう。しかし、現実に戦争が現在進行しています。ロシアとウクライナ、そしてハマスとイスラエルなどです。よく注視しますと、戦争や小競り合いなどは、大抵、お隣同士の国と国で起こっています。時々耳にしますが、家と家、案外お隣同士が仲たがいしているケースもあります。本当は、ご近所、また身近な家族や毎日出会う人ほど仲良くしたいですね。もちろん、相性もありますから、無理することはないですが、少なくとも仲たがいや小競り合いなどは回避すべきです。コロサイ3:12~13には「それゆえ、神に選ばれた者、聖なる、愛されている者として、あなたがたは深い同情心、慈愛、謙遜、柔和、寛容を身に着けなさい。互いに忍び合い、だれかがほかの人に不満を抱くことがあっても、互いに赦し合いなさい。主があなたがたを赦してくださったように、あなたがたもそうしなさい。」とあります。赦し合い、愛し合い、誰とでも仲良くしましょう。「互いに愛し合う」ということは神の命令です。ヨハネ12:50でキリストは「わたしは、父の命令が永遠のいのちであることを知っています。」と言っておられます。つまり、究極的に、聖書で「愛する」ということはイエス・キリストの救い、永遠のいのちを伝えることでもあります。

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