きょうから黙示録に入りました。本日は黙示録1:1~8からポイント4つ上げていきます。
1.この預言のことばを心に留める人々は幸いです…1節で「これは、すぐに起こるはずのことをそのしもべたちに示すため」とあります。この黙示録が書かれてから、2千年近くが経過しています。2千年を「すぐに」とは言わないでしょうから、この黙示録で示されている6章からの預言(七つの封印)が、ヨハネの時代直後から始まって今日に至っていると思われます。4月3日、台湾の花蓮で大きな地震がありました。それに関連して沖縄では3メートルの津波が予想されていましたが、幸い、予想は外れて軽度の津波で終わりました。天気予報もですが、度々外れることがあります。それは仕方ありません。さて、聖書の預言はどうでしょう。例えば、イザヤ7:14ではキリストの処女降誕が預言され、その約700年後にその預言が成就しています。イザヤ53:1~9では、イエス・キリストの十字架の場面が預言され、やはりその約700年後に成就しています。また、イスラエルが再建される預言がエゼキエル11:17で預言され、1948年にイスラエルが独立宣言を果しました。つまり、聖書の預言は、その通りに成就していくということです。であるならば、私たちは、聖書、黙示録の預言のことばを心に留めるべきなのです。
2.七つの教会へ…この七つの教会はアジアにあるエペソ、スミルナ、ペルガモ、テアテラ、サルデス、フィラデルフィア、ラオデキヤです。アジアとは小アジア、今のトルコにある教会ということになります。しかし、完全数7を用いた「七つの教会」という表現から、地域と時代を超えて、全ての主にある教会に向けたものであると受け止めて間違いないでしょう。教会とは建物のことではなく、イエス・キリストの名によって集まる人々のことです。5節で「キリストは私たちを王国とし祭司とした」とあります。このことはⅠペテロ2:9の「しかし、あなたがたは、選ばれた種族、王である祭司、聖なる国民、神の所有とされた民です。それは、あなたがたを、やみの中から、ご自分の驚くべき光の中に招いてくださった方のすばらしいみわざを、あなたがたが宣べ伝えるためなのです。」と一致します。今日、キリスト者は、この世における身分は高くないかもしれませんが、霊的には高い地位にある王である祭司なのですから、人々を執り成し、福音を証しするために召されているということを自覚すべきです。
3.見よ、彼が雲に乗って来られる…先日、イランがイスラエルを攻撃し、イスラエルはその後、イランの軍事施設を攻撃し、いよいよ世界も終末の様相を色濃くしたという印象です。今後、イスラエルはどうなっていくのでしょう。エゼキエル39章の北からの大集団によるイスラエル侵攻の記事、あるいはダニエル9:27の荒らす憎むべき者の七年の契約の記事がまだ成就していませんから、少なくとも一旦は平静を取り戻し、その後、時が来て「キリストが雲に乗って来られる」はずです。そのキリスト再臨の時、地上は大変な状況になるでしょう。そのことがマタイ24:30節と31節に記されています。ある人々は悲しみながらキリストが雲に乗ってくるのを見ます。一方、別の人々は、再臨のとき選びの民として天に引き上げられます。そうです。私たちは、前者ではなく、後者の人々、すなわち、キリストの再臨を待ち望む人々でありたいと切に願います。
4.アルファでありオメガである…8節には「神である主、今いまし、昔いまし、後に来られる方、万物の支配者がこう言われる。『わたしはアルファであり、オメガである。』」とあります。イエス・キリストは永遠から永遠の方です。この方の前に私たちは限定的にこの地上に生かされています。しかし、キリストの十字架による救いを受け入れたならば、罪の赦しと永遠のいのちが与えられ、この地上では、創造主と救い主キリストの目的のために生きるようになるのです。ですから、何をするにしても神の栄光を求め(Ⅰコリント10:31)、関わる人々の徳と益を計り、また人々がイエス・キリストの救いに与ることができるように心を注ぐ者とならせていただきましょう。