●2024年5月26日(日)礼拝メッセージ要旨  

黙示録2:12~29からです。黙示録2~3章は、当時の七つの教会の現状を取り上げています。先々週はエペソ教会とスミルナ教会でした。本日はペルガモ教会とテアテラ教会を取り上げます。 

1.ペルガモ教会について…ペルガモにはサタンの王座があるとのことで、何らかの偶像礼拝の拠点があったのでしょう。そのため、主の忠実な証人であるアンテパスが殉教したのです。しかし、ペルガモの教会の人々は、信仰を捨てることはしませんでした。現在、日本においては実質的な迫害はありませんが、今後どうなるかについては分かりません。たといどうであれ、私たちは、恐れることなく、主への信仰を守り通していきましょう。さて14節で、ペルガモ教会には「バラムの教えを奉じている人々がいる」と指摘されています。この節の内容から、民数記25章で、イスラエル人が不品行と偶像礼拝に陥り、神罰で24000人が死んだのは、バラムがバラクに何らかの悪知恵を授けた結果だということを推測できます。昔も今も、同じように言えることです。私たちは、不品行と偶像礼拝に陥らないように気を付けましょう。さて17節を見ますと、「勝利を得る者には隠れたマナと白い石を与える」と言っています。隠れたマナとは霊的な食物、霊的ないのちの糧、もしくは永遠のいのちのことでしょう。白い石とは、当時の裁判で陪審員が被告に対して無罪を示すために白い石が使われたようです。そこから、白い石とはイエス・キリストを信じる信仰によって罪赦され、義とされるということでしょう。また、その白い石には新しい名が書かれていました。ルカ10:20には「だがしかし、悪霊どもがあなたがたに服従するからといって、喜んではなりません。ただあなたがたの名が天に書きしるされていることを喜びなさい。」とあります。クリスチャンは、イエス・キリストの十字架の救いによって罪赦され、義とせられ、いのちの書に名が記されているのです。

2.テアテラ教会について…テアテラ教会は「愛と信仰と奉仕と忍耐があり、近頃の行ないが初めの行ないに優っている」と褒められています。私たち人間は、この世に生を受け、子どもから大人へと成長をします。それは体の大きさだけではなく、人間性の成長も含まれます。同じように、キリスト者は、新生してから霊的な成長が期待されています。Ⅰペテロ2:2には「生まれたばかりの乳飲み子のように、純粋な、みことばの乳を慕い求めなさい。それによって成長し、救いを得るためです。」とあります。聖書のみことばを吸収して成長し、救いの達成をするということは大事なことです。この同じⅠペテロ2:9には「しかし、あなたがたは、選ばれた種族、王である祭司、聖なる国民、神の所有とされた民です。それは、あなたがたを、やみの中から、ご自分の驚くべき光の中に招いてくださった方のすばらしいみわざを、あなたがたが宣べ伝えるためなのです。」とあり、祭司の務め、すなわち、人々を執り成し、福音を宣べ伝えるという段階に引き上げられたら幸いです。しかし、このあとテアテラ教会は「イゼベルという女をなすがままにさせている」と言われています。Ⅰ列王記16:31に記されているイゼベルと同じような女性が存在していたのでしょう。シドンの王エテバアルの娘イゼベルは北イスラエルのアハブ王と結婚し、夫アハブを通して、北イスラエルに少なからぬ悪影響を及ぼしました。但し、テアテラ教会には、このイゼベルという女の悪影響を受け入れていない人たちもいました。そこで黙示録2:25で「ただ、あなたがたの持っているものを、わたしが行くまで、しっかりと持っていなさい。」と勧められています。私たちは、悪いことば、無慈悲、憤り、怒り、叫び、そしりなどの捨てるべきものは捨て、持っていなければならないものは最後の最後まで手放さないようにしましょう。ヘブル12:2には「信仰の創始者であり、完成者であるイエスから目を離さないでいなさい。イエスは、ご自分の前に置かれた喜びのゆえに、はずかしめをものともせずに十字架を忍び、神の御座の右に着座されました。」とあります。救い主イエス・キリストから目を離さないでいましょう。

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