●2024年5月5日(日)礼拝メッセージ要旨  

黙示録1:9~20から「人の子のような方が」という題でポイント3つ上げていきます。 

1.神のことばとイエスのあかしのゆえに…ヨハネは福音宣教のゆえに、迫害を受けてパトモス島に島流しをされていました。Ⅱテモテ3:12には「確かに、キリスト・イエスにあって敬虔に生きようと願う者はみな、迫害を受けます。」とあります。5月3日は憲法記念日でした。一昔前は、その平和憲法の恩恵を皆が感じていたような空気があったと思うのですが、この頃では「憲法改正」を叫ぶ風潮が前に出てきているのではないでしょうか。その槍玉に挙げられているのが憲法九条です。しかし、護憲派としては、九条を皮切りに、変える必要のない他の部分に手を付けてほしくないという思いがあります。特に、憲法20条です。信教の自由が阻害されるような暗黒の国になってはなりません。もちろん、たといどのような時代になろうとも、私たちはキリスト・イエスにあって敬虔に生きる道を進んでまいりましょう。

2.人の子のような方が…ヨハネは、主の日に御霊に感じ、自分の背後からラッパの音のような大きな声を聞きました。「あなたの見ることを巻き物にしるして、七つの教会に送りなさい」と言われます。そして、その声の主を見ると、それは、13~16節に言われているように、圧倒的に力強く、完全で、恐ろしいほどの方を目にすることになったのです。実際、ヨハネは衝撃を受けて、その方の足元に倒れて死者のようになりました。イエス・キリストは私たちの罪をその身に負うために弱さを持つ人間と同じようになられましたが、今現在のキリストは、永遠から永遠に力強く、完全で、恐ろしいほどの方です。それに比べ、我々人間は、弱く、欠けだらけで、罪人です。でも、それでよいのです。むしろ、私たちは、自分の弱さ、欠点、罪人であるということを認めて、救い主であるイエス・キリストに拠りすがりながら歩むところに真の勝利があるのです。

3.七つの星と七つの燭台…第2のポイントの「人の子のような方」は、七つの金の燭台の真ん中に立ち、右手に七つの星を持っていました。そして、20節では、「七つの燭台は七つの教会」、「七つの星は七つの教会の御使いたち」と言っています。エペソ1:22~23には「また、神は、いっさいのものをキリストの足の下に従わせ、いっさいのものの上に立つかしらであるキリストを、教会にお与えになりました。教会はキリストのからだであり、いっさいのものをいっさいのものによって満たす方の満ちておられるところです。」とあります。キリストをかしらとする教会にキリストが満ち満ちているのですから、私たちは教会に集まることを大事にしましょう。そして、「七つの教会のみ使い」です。少々説明が難しいのですが、み使いは主に仕えているはずです。2011年3月11日の午後2時46分に東日本大震災、大地震が起こりました。その時、筆者の妻は宮城野区田子にある商店で買い物を済ませたばかりでした。咄嗟に思ったことは、海のそばの教会兼自宅にいる夫である筆者のところに戻らなければならないということでした。彼女は、(田子と仙台港付近を南北に結ぶ四車線道路を)多くの車が渋滞しながら海側から内陸側に避難しているところ、一人だけ車を海に向けてひたすら走り、筆者のところに来たのです。そして、筆者はその妻と共に、今度は七北田川沿いの道路(他の車は全く無し)を内陸に向かい、岡田に抜ける橋を渡ったところで、七北田川をさかのぼる第一波の津波(その時点では小津波も、その後、大津波となった)を見たのです。結局、私たちは無事だったのですが、後から考えると、想像ですが、主に遣わされたみ使いが、私たちを助けたかもしれません。そうです。これからも、私たちは、キリストのからだなる教会に連なり、主と聖霊と、み使いに助けられながら歩んでまいりましょう。

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