●2024年6月2日(日)礼拝メッセージ要旨  

黙示録3:1~22からです。黙示録2章では、エペソ、スミルナ、ペルガモ、テアテラの四つの教会を取り上げていました。この3章では、サルデス、フィラデルフィア、ラオデキヤの三つの教会を取り上げています。 

1.サルデスの教会について…サルデスの教会は、1節で「あなたは、生きているとされているが、実は死んでいる」と厳しいことを言われています。肉体的に生きていても、霊的に死んでいるということです。霊的に死んでいるとは、この世の罪、例えば偶像礼拝、不品行、酩酊、その他の悪事の中に埋もれているということです。マタイ5:13には「あなたがたは、地の塩です。もし塩が塩けをなくしたら、何によって塩けをつけるのでしょう。もう何の役にも立たず、外に捨てられて、人々に踏みつけられるだけです。」とあり、クリスチャンはこの世の腐敗を防止するために「地の塩」としての役目が期待されています。さて、このサルデスの教会には、「その衣を汚さなかった者が幾人かいる」とされ、その人たちは称賛されています。箴言4:23には「力の限り、見張って、あなたの心を見守れ。いのちの泉はこれからわく。」とあります。私たちは、地の塩、世の光として、きよい歩み方を目指していきましょう。ときには、芳しくない道を歩むことがあるかもしれませんが、そのときは悔い改め、軌道修正して、主に助けられながら自分自身を見守ってまいりましょう。

2.フィラデルフィアの教会について…フィラデルフィアの教会は、先に述べられているスミルナ教会と似ていて、ユダヤ人だと自称しているが実はそうではなく、サタンの会衆に属する者たちから何らかの迫害を受けていたのでしょう。しかし、フィラデルフィア教会の人たちは、「わたしのことばを守り、わたしの名を否まなかった」と褒められています。マタイ10:32には「ですから、わたしを人の前で認める者はみな、わたしも、天におられるわたしの父の前でその人を認めます。」とあります。私たちは、いつでもどこでも機会があれば、自分がクリスチャンであること、イエス様を信じていること、キリスト教会に行っていることなどを告白しましょう。そして、この黙示録3:11では「わたしは、すぐに来る。あなたの冠をだれにも奪われないように、あなたの持っているものをしっかりと持っていなさい。」と言っています。「持っているもの」とは、救い主イエス・キリストを信じる信仰です。この信仰のゆえに莫大な永遠の富をキリストとともに共同相続するのです。これを決して手放してはなりません。

3.ラオデキヤの教会について…この一連の七つの教会、最後のラオデキヤの教会です。「あなたは熱くも冷たくもない。生ぬるい。」と言われています。また、ラオデキヤ教会は「自分では富んでいると思っていても、みじめで、哀れで、貧しくて、盲目であることを知らない。豊かな者になるために、火で精錬された金と白い衣と目薬を買いなさい。」と言われています。当時のラオデキヤは経済的には潤っていたようです。しかし、霊的、信仰的には乏しかったのです。そのため、霊的な意味において「豊かになりなさい。きよくありなさい。霊の目が開かれた者となりなさい。」と言われました。19節では「熱心になって悔い改めなさい。」と言われ、そして20節で「見よ。わたしは、戸の外に立ってたたく。だれでも、わたしの声を聞いて戸をあけるなら、わたしは、彼のところに入って、彼とともに食事をし、彼もわたしとともに食事をする。」と、聖書の中でも有名な箇所が続きます。私たちが、イエス様を家に迎え入れ、共に食事をして交わり、会話を楽しむとすれば、それは大きな喜びと祝福です。つまり、主が私たちに願っていることは、私たちが世の事だけに時間を割くのではなく、イエス様に心を向け、主と交わる時間を十分に持つということです。ヨハネ15:5には「わたしはぶどうの木で、あなたがたは枝です。人がわたしにとどまり、わたしもその人の中にとどまっているなら、そういう人は多くの実を結びます。わたしを離れては、あなたがたは何もすることができないからです。」とあります。この世のものとか、自分の気合などは当てになりません。私たちは、主と交わって、そこから恵みを受け、主とともに歩んでまいりましょう。

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