●2024年6月30日(日)礼拝メッセージ要旨 

今日は黙示録7:1~17からです。先週は第1~第6の封印が解かれる場面からでした。第7の封印は8章からです。本日の7章は6章で語られた第6の封印の補足かと思われます。ポイント3つ上げていきます。

1.神のしもべたちの額に印を押して…1~3節では、主に二つのことを言っています。主の使いたちが「神のしもべたちの額に印を押すこと」と「その印を押してしまうまで、それを妨げないようにする」ということです。もちろん、それは象徴的な表現を用いているのでしょう。つまり、印を押すとは、神のしもべたちとそれ以外の人たちとを区別するということでしょう。そして、それが完了するまで守られるということです。額に印を押すとは、現実的にはイエス・キリストを信じて救いを受ける。選びの民となることです。ヨハネ15:16には「あなたがたがわたしを選んだのではありません。わたしがあなたがたを選び、あなたがたを任命したのです。~」とあり、エペソ1:5には「神は、みむねとみこころのままに、私たちをイエス・キリストによってご自分の子にしようと、愛をもってあらかじめ定めておられました。」とあって、真の神様は、神のしもべとなる人々を選び、定めておられたのです。ですから、今、私たちが救い主イエス・キリストを信じてキリストに着くバプテスマを受けているなら、それはもう、神のしもべとして、額に印を押していただいているのです。

2.144,000人とあらゆる国民、部族など…4~8節ではイスラエル12部族の144,000人、それから9節では、あらゆる国民、部族、民族など大ぜいの群衆が描写されます。この二種類の人々を同一の人々ではないかと解釈している解説書もあります。もしかして、そうかもしれませんが、いわゆる置換神学という説があり、イスラエル人は異邦人クリスチャンに置き換わるというものです。しかし、ローマ11:25~26には「~イスラエル人の一部がかたくなになったのは異邦人の完成のなる時までであり、こうして、イスラエルはみな救われる、ということです。~」とあり、基本的にユダヤ人はキリストを受け入れていませんが、異邦人クリスチャンの救いが完成されたとき、彼らもキリストを受け入れるのです。さて、10節、11節で御座にある方と小羊に対して賛美がささげられています。正に、天では賛美されるべき方が賛美されています。この地上はそうではありません。木や石の神々が拝まれたり、権力者に対して忖度が行われ、公正であるべき裁きが曲げられたりすることがあるのではないでしょうか。しかし、天においては正しい裁きが行われ、賛美されるべき方が賛美されるという義と聖が支配する世界です。そして、神の恵みと豊かさに満ち満ちた世界がそこにあるのです。

3.小羊が彼らの牧者となり…長老のひとりがヨハネに「白い衣を着ている人たちは誰ですか」と聞くと、ヨハネは「あなたこそご存じです」と言います。すると、その長老は「彼らは大きな患難から抜け出てきた者たちで、その衣を小羊の血で洗って白くしたのです。」と答えます。クリスチャン小説家・三浦綾子さん(1922~1999)は晩年に、エッセイ風の記事の中で「自分には『死』という大きな仕事が残っている」と、そういった内容のことを言っておられました。彼女はクリスチャンで当然、永遠のいのちの希望を持っておられたことでしょう。でも、やはり、空中再臨の時まで生きながらえるのでなければ、死は死ですから、それなりの苦難は免れることはできないでしょう。しかし、聖書は言っています。「神の国をまず第一に求めよ。明日のための心配は無用だ。(マタイ6:33~34)」と。先々のことを心配しても何の益にもなりません。目の前に与えられた自分が成すべき使命を果たしていきましょう。やがて、上げられる天では小羊なるキリストが私たちの牧者となってくださるのです。詩篇73:25には「天では、あなたのほかに、だれを持つことができましょう。地上では、あなたのほかに私はだれをも望みません。」とあります。天はイエス様一色の世界ですから、私たちは、この地上にいるときから聖霊の助けを受けながら、イエス様を第一にする生活を求めていきましょう。

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