●2024年8月11日(日)礼拝メッセージ要旨 

黙示録は、6~11章の七つの封印と七つのラッパで語られていることが、黙示録の中心的な筋書きと言ってもよいでしょう。最後の七つ目のラッパが吹き鳴らされて、キリストが支配される世界となって、そこで完結を迎えるのですが、この12章からは、振り出しに戻ったような内容になります。それは、それまで言及していなかった部分に対する補足的説明が付け加えられるという捉え方をするのが正解だと思います。それで、この12章では、三つの場面に分けて、それを三つのポイントとして見て行きましょう。

1.「場面①…1~6節」…1節で「巨大なしるし」と言っています。非常に重要なしるしという意味であると思われます。キリスト降誕に関するしるしですから、正に重要なしるしです。「一人の女が太陽を着て~」とあります。創世記37:9で、ヨセフが「太陽と月と星」のことを語っています。それはヤコブと12人の息子たち、つまり、この一人の女とはイスラエル民族のことを言っていると思われます。キリストは乙女マリヤから人として降誕されましたが、ヨセフとマリヤはダビデの子孫で、大きな括りではイスラエル民族を背景として、キリストが世に現れたのです。もう一つのしるしはそのキリストの命を狙う大きな赤い竜=悪魔の存在です。人の目には見えないけれども、この世界を創造した真の神の存在すら認められない人にとって、悪魔の存在などは愚の骨頂となるでしょう。しかし、この霊的な背景を無視すると、正に、その悪魔に翻弄された人生となるでしょう。エペソ6:12には「私たちの格闘は血肉に対するものではなく、主権、力、この暗やみの世界の支配者たち、また、天にいるもろもろの悪霊に対するものです。」とあります。本当の敵は人間ではありません。背後に存在している悪魔です。

2.「場面②…7~12」…悪魔は「堕落した天使」とも言われています。4節とイザヤ14:12~13の記事を重ね合わせると、傲慢になった天使の三分の一が龍に引き寄せられ、それが悪魔となったということなのでしょう。その元天使たちが、天で戦いを挑むけれど、ミカエルとその使いたちによって退けられ、地上に投げ落とされます。そして、このとき、天で大きな声が聞こえます。10節で「今や、私たちの神の救いと力と国と、また、神のキリストの権威が現れた。私たちの兄弟たちの告発者、日夜彼らを私たちの神の御前で訴えている者が投げ落とされたからである。」と、二つのことを言っています。一つは「キリストの権威が現われたこと」と、もう一つは「サタンが投げ落とされたこと」です。この世は「一寸先は闇」とも言われています。今日、調子良くても、明日は分かりません。私たちは霊的な武装をして、悪魔的なものを見分け、いつも神の側に立ち、みことばに従って、勝利の道を進みましょう。そして、11節には「兄弟たちは、小羊の血と、自分たちのあかしのことばのゆえに彼に打ち勝った。彼らは死に至るまでもいのちを惜しまなかった。」とあります。小羊の血とはキリストの十字架の救いです。あかしのことばとはキリストを信じる信仰の告白です。ローマ10:10には「人は心に信じて義と認められ、口で告白して救われるのです。」とあります。信仰のことばを口で、つまり声を出して告白することが大事です。

3.「場面③…13~18」…キリストに対して何も出来ない竜は、それで終わりません。今度は男の子を生んだ女を追いかけます。第二次世界大戦中、ヒトラー率いるナチスドイツはユダヤ人撲滅を画策し、600万人のユダヤ人が犠牲となります。戦後1947年、国連でイスラエルとパレスチナ分割案が決議されます。イスラエルはそれを受け入れますが、パレスチナ側は、そもそもイスラエルの存在そのものを認めないのですから、いつまで経ってもイスラエルに平和が訪れることはありません。それに加え、一般のメディアも反イスラエル側に立った報道をしています。そういった歴史や現状の背後には目に見えない竜(悪魔)の力が働いているのでしょう。17節には、竜は、その女だけではなく、女の子孫の残りの者、すなわち神の戒めを守り、イエスの証しを保っている者たちにも戦いを挑みます。今日、キリスト者にとっては、まだまだ霊的戦いの最中にあると言えます。エペソ6:10には「終わりに言います。主にあって、その大能の力によって強められなさい。」とあります。真理の帯、正義の胸当て、平和の福音の備え、信仰の大盾、救いのかぶと、御霊の剣である神のことば、そして祈りをもって、霊的な武装をしましょう。

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