黙示録14:1~20からです。黙示録13章では、悪魔とかサタンと言われている存在について記されていました。この14章では、その悪魔とは対極にある人々、神の近くで神を賛美する人々のことが取り上げられています。「神を恐れ、あがめよ」という題でポイント3つ上げていきます。
1.神と小羊にささげられる初穂…1節で、子羊がシオンの山の上に立っていると、子羊とともに144000人の人たちがいます。その人たちの額には、子羊の名と小羊の父の名が記されていました。次に、彼らは2~3節では、御座の前で新しい歌を歌い、それが複数の立琴をかきならす大水のような、激しい雷鳴のような音であると記しています。この144000人、同じ黙示録7章4節~に出てきますが、同一の人々であるか、否かは不明です。はっきり言えることは、12000×12=144000、「12」はイスラエル12部族、キリストの弟子12使徒、神に選ばれた人々ということでしょう。もう一点は、4~5節にあるように、彼らは汚れなき人々で、小羊に従順に従い、その口に偽りのない、傷のない、神および小羊にささげられた初穂です。但し、5節では「人々の中から贖われた」とあります。「贖われた」、つまり、罪の赦しを受け、きよい者とされたのです。神と小羊にささげられる初穂とされたということは、特別な栄誉を与えられたということでしょう。「すべての人は、罪を犯した~(ローマ3:23)」とあります。大事なことは、悔い改めて主に従っていくことです。つまり、回心後、そして、今がどうであるかということです。
2.神を恐れ、神をあがめよ…6~7節で、もうひとりの御使いが中天を飛び「神を恐れ、神をあがめよ~」と大声で言います。そして、その後、8節で、第二の御使いが「大バビロンは倒れた」といいます。9~12節では、第三の別の御使いが、「獣とその像を拝み、自分の額か手に刻印を受けるなら、聖なる御使いたちと小羊の前で、火と硫黄とで苦しめられる。彼らの苦しみの煙は永遠にまで立ち上る。聖徒たちの忍耐はここにある。」と、要約すると、そういったことを言っています。要するに、世界の創造主と救い主イエス・キリストに立ち返り、悪魔の支配下にある世の権力に屈せず、偶像礼拝するな、ということです。パリ五輪が終わってしばらく経過します。YouTubeで「良いこともあったパリ五輪」というクリスチャン提供の番組がありました。女子砲丸投げで金メダルを獲得したドイツの選手は一投目で転倒して失敗しても賛美歌を歌い、次は「主よ、一緒に来てください」とお祈りして投じ、勝利しました。女子400mハードルで金メダルを獲得したアメリカの選手は「結果にかかわらず、神の栄光を現わすことが出来ますように」と祈り、世界新記録を出しての金メダルでした。女子スケボーで銅メダルだったブラジルの選手は滑走直前でカメラがアップになっているときに手話で「イエスは道であり、真理であり、いのちです(ヨハネ14:6より)」と動作をしました。彼女たちは、キリスト者として、オリンピックという与えられた機会を、神の栄光のため、福音のために行動したのです。
3.かまを入れて刈り取る…ここでの「刈り取り」は収穫の喜びではなく、神の激しい怒りによる「刈り取り」です。14節と16節では、白い雲が起こり、人の子(イエス様)がそれに乗って、手には鋭いかまを持っていました。キリストが雲に乗って来られるとき、マタイ24:30~31によりますと、ある人々にとっては悲しみと絶望のときであり、別の人々にとっては救いのときとなります。この刈り入れは穀物ではなく、ぶどうの刈り入れであり、20節では酒ぶねに入れられたぶどう液が血のように流れ出て、それが1600スタディオンに広がったのです。1600=40×40です。40という数字は聖書では「満ちる」という意味で用いられています。1スタディオンは185m、1600スタディオン296km、およそ仙台から東京までです。それほどまでに遠くに広がったのです。それは、神の激しい怒りを象徴的に表現しているのではないかと思います。今は、終末時代にさしかかっています。イエス様が雲に乗って来られたら、もう終りです。その前に、イエス様を信じ、神を恐れ、神をあがめて、第二ポイントで語ったクリスチャンのオリンピック選手のように、与えられた機会を用いて、神の栄光を現わしていきましょう。最後はエペソ5:15~16です。「そういうわけですから、賢くない人のようにではなく、賢い人のように歩んでいるかどうか、よくよく注意し、機会を十分に生かして用いなさい。悪い時代だからです。」