●2024年8月4日(日)礼拝メッセージ要旨 

●2024年8月4日(日)礼拝メッセージ要旨 

本日は黙示録11:1~19から「第7の御使いがラッパを吹き鳴らした」という題でポイント3つ上げていきます。

1.「杖のようなはかりざお」…七つ目のラッパが吹き鳴らされる前に「間」があります。その間というのは、天の神は一人でも滅びることを望まず、最後の最後まで、人々が悔い改め、主に立ち返ることを望んでおられるということです。前の章、10章でもそのことが記されていて、この黙示録の著者ヨハネもあらゆる民族、国々に対して預言するように、と言われています。そういった流れの中で、ヨハネに杖のような測りざおが与えられ、「立って、神の聖所と祭壇と、また、そこで礼拝している人を測れ。」と言われます。杖で思い出すのはモーセです。モーセは杖を持って、エジプトのパロ王の前に立ち、イスラエル人をエジプトの奴隷から解放するように訴えます。そして、その杖をもって神の力により奇跡としるしを行ない、イスラエル人を救い出すのです。「神の聖所と祭壇と、また、そこで礼拝している人を測れ」とはどういうことでしょう。それは、一つの明確な基準を当てはめて、その基準に適合しているか否か、ということでしょう。つまり、神を礼拝している人々が、聖書のみことばの基準を満たしているかどうかということです。例えば、出エジプト記20:3には「あなたには、わたしのほかに、ほかの神々があってはならない」とあります。偶像礼拝をしていたら、その人は聖書のみことばの規準から外れています。

2.「二人の証人」…3節で、主に立てられた二人の証人が現われ、1260日の間預言します。その前の2節では、「異邦人が聖なる都を42か月の間踏みにじる」となっています。1260日と42カ月は同じ3年半のことです。どうして、同じ期間なのに違う言い方をしているのでしょう。一方は「聖なる都を踏みにじり」、もう一方は神のみことばを預言しているからなのでしょう。悪と善、真逆のことを行なっているので、数字の表し方を別々にしたのであると思われます。ゼカリヤ4:14では「これらは、全地の主のそばに立つ、ふたりの油そそがれた者だ。」と言われています。つまり、この二人は聖霊に満たされた神の器ということです。この二人が預言している間は、彼らに害を加えようとする者から彼らは守られます。しかし、彼らが預言するのを終えると、底知れぬ所から上ってくる獣が、彼らを殺し、彼らの死体は三日半の間、大きな都の大通りにさらされ、多くの人々は彼らの死を喜びます。ところが、三日半の後、二人の証人は生き返り、雲に乗って天に上ります。すると人々は恐怖に満たされ、天の神を崇めるのです。このあたりの記事を読むと、熱心なクリスチャンでも、「そんなことが本当に起こるの?」と思ってしまいますが、聖書の記事(預言)はこれまでも成就してきました。それは必ず起こるのです。

3.「主は永遠に支配される」…14節で「第二のわざわいは過ぎ去った。見よ。第三のわざわいがすぐに来る。」とあります。ここで、「第一、第二、第三のわざわい」について整理しておきましょう。第七の封印が解かれたとき、七人の御使いが七つのラッパを吹き鳴らします。その七つのラッパを三つに区分けしているのです。

□第一のわざわい ラッパ1…地上の三分の一が焼かれる                                                                                         

         ラッパ2…海の三分の一が血となる

         ラッパ3…川の三分の一が苦くなる      

         ラッパ4…天体の三分の一が暗くなる

         ラッパ5…一つの星が天から落ちて穴ができる

□第二のわざわい ラッパ6…ハルマゲドンと二人の証人

□第三のわざわい ラッパ7…最後の救いと審判

 こうしてみますと、神は私たち人間に対して、いきなり裁きの鉄拳をふるうのではなく、少しづつ少しづつ、世の終わりが近いことを感じさせ、人々に悔い改めを促しているのではないでしょうか。Ⅱコリント6:2には「確かに、今は恵みの時、今は救いの日です。」とあります。私たちは、なるべく早く、そうです、今のうちに主に立ち返りましょう。しかし、第七の御使いがラッパを吹き鳴らすと、もう終わりです。そのときには、神のしもべたちには報いが与えられ、神に敵対する者は滅ぼされるのです。ですから、既に主の元に立ち返った私たちは、聖く、敬虔に生きることを求めましょう。そして、新しい天と新しい地を待ち望みつつ、主の証人として歩んでまいりましょう。

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