黙示録21:1~27からです。「新しい天と地」という題でポイント3つ上げていきます。
1.もはや死もなく…前週は黙示録20章から千年王国について話しましたが、「死」については何も言いませんでした。イザヤ65:20には「そこにはもう、数日しか生きない乳飲み子も、寿命の満ちない老人もない。百歳で死ぬ者は若かったとされ、百歳にならないで死ぬ者は、のろわれた者とされる。」とあり、この節が千年王国のことを言っているとすれば、「死」はあるということになります。一方、本日取り上げている黙示録21章4節では「もはや死もなく」と明確に語っています。逆に「死」があるということは、「罪」がそこにあるからです。最近のニュースで、日本原水爆被害者団体協議会がノーベル平和賞を受賞したとのことです。過去にはイスラエルとパレスチナが平和的な合意を結んだときに、それぞれの代表がノーベル平和賞を受賞しました。やはり、そこには授与する側のメッセージが込められていると思います。しかし、現実的には、戦争は無くなることはありません。それは、人間が潜在的に持っている「罪」と空中の権威を持つ暗闇の支配者である「悪魔」が平和を妨げているのです。私たちは、新しく整えられた永遠の御国に入らせていただくために、自らが新しくされなければなりません。Ⅱコリント5:17には「だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。」とあります。イエス・キリストを信じ、従い、キリストと共に毎日を過ごすことです。
2.勝利を得る者…最近の卓球のアジア大会では女子団体で日本が中国を決勝で破り、50年ぶりの快挙を成し遂げたとのことです。スポーツのことですが、それでも勝てば大喜びするし、負ければ落ち込みます。やはり、勝つと負けるとでは大きな違いがあります。私たちの人生、そして信仰生活においても勝利を取っていきたいものです。勝利の秘訣は聖書にあります。Ⅰヨハネ5:5には「世に勝つ者とはだれでしょう。イエスを神の御子と信じる者ではありませんか。」とあります。「世に勝つ」とは何に勝つことでしょうか。人生最大の問題は「死」です。その「死」に対して明確な勝利の道を示しているのは聖書です。精神科医で作家でもあり、ユーチューバーの和田秀樹さんという方がおられます。その方が「死の壁」という本を出され、YouTubeで自らその本の紹介をしていました。「人間は必ず死ぬ。だから、死ぬまでにどう生きるか二つの考え方がある。一つは長生きを目指して生きる。もう一つは充実した生き方をする。」と、大方、そういったことを言っておられました。それですと、最も肝心な「死そのものに対しての解決」はありません。ローマ8:37「しかし、私たちは、私たちを愛してくださった方によって、これらすべてのことの中にあっても、圧倒的な勝利者となるのです。」とあります。イエス・キリストが十字架で、私たちの罪をその身に負われ、死んで葬られ、三日目に死を打ち破って復活されました。そのイエス・キリストを信じる信仰によって私たちは死でさえも打ち破る圧倒的な勝利が与えられるのです。黙示録21:7にあるように、勝利を得る者がこれらのもの(新しい天と地)を相続するのです。
3.太陽も月もいらない…天の都の様式です。大きさは1万2千スタディオン(2220㎞)四方で、城壁の厚さは、高さと幅が144ペーキュス(64.8m)、また一例として、「都の大通りは透き通ったガラスのような純金」とありますから、もう、金の価値がどうのこうのという世界ではありません。「12の門、12の土台」というふうに、12の数字が使われています。聖書で「12」は「選び」という意味を持っているようです。つまり、新しい天と地には選ばれた人がそこに入るのです。そして、太陽も月も無いというのは、神の栄光が都を照らし、小羊が都の明かりだからです。Ⅰテモテ6:16には「ただひとり死のない方であり、近づくこともできない光の中に住まわれ、人間がだれひとり見たことのない、また見ることのできない方です。誉れと、とこしえの主権は神のものです。アーメン。」と言われている真の神が、私たちと共に住んでくださるのです。なんという大きな恵みでしょう。永遠の視点からすれば、今のこの世はほんの一時的な場所に過ぎません。ピリピ3:20には「けれども、私たちの国籍は天にあります。そこから主イエス・キリストが救い主としておいでになるのを、私たちは待ち望んでいます。」とあり、キリストにある者の本籍地は新しい天と地であり、その人はそこからこの地上に遣わされているのです。