●2024年10月6日(日)礼拝メッセージ要旨 

黙示録20:1~15からです。「いのちの書に名が記される」という題でポイント3つ上げていきます。

1.千年王国…この章は、いわゆる千年王国と言われている事について聖書の中で最も詳しく記されています。1~6節では、大まかに2つのことを言っています。一つは、悪魔とかサタンと言われている存在が縛られ、底知れぬ所に投げ込まれて、千年間閉じ込められます。黙示録12:9には「こうして、この巨大な竜、すなわち、悪魔とか、サタンとか呼ばれて、全世界を惑わす、あの古い蛇は投げ落とされた。彼は地上に投げ落とされ、彼の使いどもも彼とともに投げ落とされた。」とあり、エペソ2:2には「空中の権威を持つ支配者として今も不従順の子らの中に働いている霊」とありますから、その悪魔が支配しない世界ですから、どれほど解放された素晴らしい世界となることでしょう。もう一つは、偶像を拝まず関わらず、イエス・キリストを信じる信仰を忍耐して証しし続ける者たち(ある人たちは殉教する)が第一の復活に与り、キリストと共に千年の間王となるということです。第一の復活に与るということは、復活の体に変えられるということですから、年齢的な問題はありません。要は、その第一の復活に与らせていただくということです。そのためには何が必要でしょうか。日々、悔い改め、祈り、聖霊の助けをいただきながら信仰を守り通していくことです。

2.千年の終わり…千年王国については、聖書が中心的に取り上げている事ではありません。それに「キリストと共に千年の間王となる」とありますが、何か、すんなりと理解しがたいところも正直あるのではないでしょうか。そして、それに加えて、千年の終わりに悪魔が解き放されるというのですから、益々分からなくなります。例えば、キリストの12弟子の一人、イスカリオテ・ユダはキリストを裏切りました。このことも理解に苦しみます。私たちは「完璧なリーダーであるイエス様をなぜ裏切ったのか」と思います。もちろん、キリストに非はありません。悪いのは裏切ったイスカリオテ・ユダです。千年王国の話に戻りましょう。千年王国は完成された世界です。しかし、千年の終わりに悪魔が解放され、ゴグとマゴグを惑わし、彼らは大集団となって聖徒たちに戦いを挑むのです。もちろん、一瞬にして悪魔の陣営は滅ぼされます。これは何を意味しているのでしょう。ここからは筆者の想像になりますが、千年王国においても油断せず、緊張感を保ちながら生活しなければならない、ということを示唆しているのではないかと思います。主の再臨についてもそうですが、再臨の日が誰にも知らされていないのは、神が私たちに良い意味で緊張感を保たせるためではないかと思います。ローマ8:30には「神はあらかじめ定めた人々をさらに召し、召した人々をさらに義と認め、義と認めた人々にはさらに栄光をお与えになりました。」とあります。「さらに」が三回言われています。主は、私たちが霊的、信仰的に成長して整えられていくことを望んでおられるのです。

3.いのちの書…千年の時が終わって、最後の審判の時を迎えます。大きな白い御座があって、その御座の前で数々の書物が開かれ、死んだ人々がその書物に書き記されているところに従って、その人の行ないに応じて裁かれます。しかし、そういう中にあって「いのちの書」に名が記されているならば第二の死である火の池に投げ込まれることはありません。ルカ10章で、キリストが70人を遣わし、彼らが良い働きをして喜んで帰って来ると、キリストは彼らに「だがしかし、悪霊どもがあなたがたに服従するからといって、喜んではなりません。ただあなたがたの名が天に書きしるされていることを喜びなさい。(ルカ10:20)」と言われました。イエス・キリストを信じる信仰によって私たちそれぞれの名が、いのちの書に記されていることを第一に喜びましょう。そして、日々、キリストの側(そば)から離れることなく、キリストに従ってまいりましょう。

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