創世記3:1~24からです。この創世記3章は、聖書の中でも最も重要な章の一つと言えます。ポイントを4つ上げていきます。
1.「蛇が一番狡猾であった」…創世記2:17で、神はアダムに善悪の知識の木から取って食べるならば「必ず死ぬ」と言われています。ところが、悪魔の化身と見られる蛇がエバに対して「園のどんな木からも食べてはならないと神が本当に言われたのですか」と誘導尋問的に言います。エバはその質問に惑わされ「園の中央の木から、それを食べて死ぬといけないから」と答えます。すると蛇は「あなたがたは決して死にません」と、真っ赤な嘘を言います。ヨハネ8:44には「~彼(悪魔)が偽りを言うときは、自分にふさわしい話し方をしているのです。なぜなら彼は偽り者であり、また偽りの父であるからです。」とあります。私たちは、悪魔の常套手段である偽りを捨て、むしろ御霊の実である「愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、柔和、自制(ガラテヤ5:22~23)」、ここでは特に「誠実」を追い求めましょう。
2.「あなたはどこにいるのか」…アダムとエバは、正に「愛、喜び、平安」の世界に安心して暮らしていたのですが、食べてはいけない木の実を食べると、彼らの視界は一気に暗く不安で恐ろしい世界に支配されてしまいます。神は彼らに現われ「あなたはどこにいるのか」と問いかけます。もちろん、神は彼らがどこにいるのかはお見通しです。その「どこ」ではなく、神の近くにいるのか、それとも遠くにいるのか、ということです。私たち人間は何が幸いでしょう。全知全能の神の近くに、神と共に生きることです。そのために必要なことは、神と人との仲介者となられ、隔ての壁を打ち壊してくださったイエス・キリストを信じ受け入れることです。エペソ2:13には「しかし、以前は遠く離れていたあなたがたも、今ではキリスト・イエスの中にあることにより、キリストの血によって近い者とされたのです。」とあります。いつもイエス様の名を呼び求め、キリストと共に歩んでまいりましょう。
3.「彼は、お前の頭を踏み砕き」…神がアダムに「あなたは食べてはならないと命じておいた木から食べたのか」と言われると、アダムは「この女が私にくれたのです。」と答えます。次に、神がエバに問われると、エバは「蛇が私を惑わしたのです」と答えます。そして神は三者に対して裁定を下されます。蛇には、のろいと腹ばいの姿を、女には産みの苦しみと夫の支配、アダムには労働の苦しみを、それぞれに定めます。その中で15節では、メシヤ預言と解されている「彼(キリスト)はお前(サタン)の頭を踏み砕き、お前は彼のかかとにかみつく」と言われます。それは、イエス・キリストが十字架に架けられたのはサタンのしわざであり、一時的に勝利したつもりのサタンは、そのキリストの十字架と復活により、サタンに完全なダメージを与えたのです。ローマ16:20には「平和の神は、すみやかに、あなたがたの足でサタンを踏み砕いてくださいます。どうか、私たちの主イエスの恵みが、あなたがたとともにありますように。」とあります。「あなたがたの足で」となっています。ここにイエス・キリストを信じる者の「信仰」が問われているのではありませんか。信仰の「信」は「人+言」です。信仰は告白でもあります。イエス・キリストにある信仰の告白によって勝利があるのです。
4.「ケルビムと輪を描いて回る炎の剣」…アダムとエバがエデンの園を追い出されたあと、園の東にケルビムと輪を描いて回る炎の剣が置かれました。これは何を意味するのでしょう。24節に「いのちの木への道を守るために」と言われています。黙示録22:2には「いのちの木」が出てきます。アダムとエバはもうエデンの園に戻ることは出来ませんが、今日、イエス・キリストの十字架の救いによって、天の御国に入ることができる道が備えられています。キリストはヨハネ10:9で「わたしは門です。だれでも、わたしを通って入るなら、救われます。また安らかに出入りし、牧草を見つけます。」と言われました。今は恵みの時、救いの日です。やがて、その門が閉じられる前に私たちは、イエス様を通して真のいのち、永遠のいのちに属する者とならせていただきましょう。