創世記20:1~18からです。「あの人は預言者です」という題でポイント3つ上げていきます。
1.「これは私の妹です」…アブラハムはヘブロンから南西のゲラル(現在のガザに近い地区と思われる)に滞在したときのこと、自分の妻サラのことを「これは私の妹です」と言いました。すると、ゲラルの王アビメレクに妻が召し入れられてしまいます。エジプトに行ったときも、アブラハムは同じことをしました。しかし、その後、ケドルラオメル王たちがソドムとゴモラに侵攻し、ロトと彼の財産をも奪って行ったとき、アブラハムは自分のしもべたちを率い、ケドルラオメル王たちを打ち破り、ロトを救出し、彼の財産も取り返します。その同じアブラハムが、また、自己保身のために、妻サラを「自分の妹です」と言うとは、何ということでしょう。この第一のポイントでは「人間の弱さ」ということをテーマにしています。筆者は、3月20日(木)は仙台福音自由教会の献堂式に出席しました。帰り際にいただいた紙袋をいただき、その中に吉田耕三牧師著の「あなたを変える21のメッセージⅡ」という本が入っていました。その本の第一項目は「健全な自己像」でした。私たちが他者と良い人間関係を築いていく上で大切な役割を果たすのが健全な自己像だというのです。例えば、健全な自己像を持っている人は、人から褒められても謙遜に受けとめ、たとい、否定されても落ち込むことはないということです。ローマ5:8には「しかし私たちがまだ罪人であったとき、キリストが私たちのために死んでくださったことにより、神は私たちに対するご自身の愛を明らかにしておられます。」とあります。私たちも、アブラハムと同じように弱さを持つ者ですが、神が自分の事を受け入れ、大きな愛を示しておられるということをしっかりと受け止め、そのことを土台にして歩んでまいりましょう。
2.「神の介入と守り」…主は夢の中で、アビメレク王に現われ、「あなたが召し入れた女のために、あなたは死ななければならい」と言われます。アビメレクとしてはアブラハムから「妹です」と聞いているので、神に抗議します。すると主は「あなたが罪を犯さないようにしたのだ。今、あの人の妻を返し、いのちを得なさい」と言われます。話は変わりますが、昔、北海道大学の前身、札幌農学校で教えたウィリアム・クラーク博士は今も北海道では高い評価を受けているとのことです。クリスチャンにとっては、クラーク博士の教え子としての内村鑑三や新渡戸稲造(二期生)が有名ですが、クラーク博士はマサチューセッツ農科大学で教えていて、そこで一年間の休暇中に札幌農学校で9カ月間だけ教えたとのことです。そのおかげで今の北海道の農業を軌道に乗せたようです。しかし、そのクラーク博士は、その後アメリカに帰ったものの、事業で失敗し、晩年は芳しくありませんでした。そして「今、自分は一生を振り返ってみて何も誇るものはないが、ただ日本の札幌において数カ月の間、日本の青年たちに聖書を教えたことを思うと、少なからず満足と喜びを感じる」と言っています。つまり、天の神が、日本の、北海道のために、またクリスチャンのためにクラーク博士を呼び寄せて、彼を用いられたという見方もできるでしょう。歴史のことを英語ではhistoryです。それはHis storyから派生していると言われています。天の父なる神様が介入して、歴史を動かしておられるのです。今日も、神が私たちを選び任命されました。それは私たちが実を結び、その実が残るためであり、また、私たちがイエス・キリストの名によって祈ったことが聞かれるため(ヨハネ15:16参照)なのです。
3.「預言者の務め」…主はアビメレクに「あの人(アブラハム)は預言者であって、あなたのために祈ってくれよう」と言われます。アブラハムに対して「預言者」という表現はめずらしいですね。それは、神の代弁者、また神の祭司のような意味で言われたのでしょう。アビメレクがアブラハムに多くの家畜などを与え、妻サラを返した後、アブラハムが祈るとアビメレクの妻やはしためたちがいやされ、子を産むようになります。今日、イエス・キリストを信じる者は、アブラハムの祝福を受けています(ガラテヤ3:13~14参照)。そうであるならば、私たちも預言者であり、祭司でもあります。それは、イエス・キリストの十字架の福音を宣べ伝え、また、人々を執り成すために召されているのです。