●2025年3月30日(日)礼拝メッセージ要旨 

創世記21:1~34からです。「イサクが生まれる」という題でポイント3つ上げていきます。

1.「仰せられたとおりに」…主がアブラハムに対して再三にわたって、アブラハムとサラの二人の間に子が生まれることを告げています。正に、そのとおりに、その子イサクが生まれました。主は言われたことを必ず成就されるお方です。ここで、今日の私たちに当てはめて考えてみましょう。例えば、イエス・キリストの「再臨」です。クリスチャンは再臨を信じています。信じてはいますが、さて、それを現実的に受けとめているかどうか、ということになりますと、「信じてはいるけれども、信じられないような気持ちも無くはない」という微妙な部分もあるのではないでしょうか。その点、アブラハムとサラにとっても、「百歳と90才の夫婦に子が生まれようか?」という思いをぬぐい切れないでいました。だから、二人とも笑って(創世記17:17、18:12)いました。ところが本当にイサクが生まれ、今度は別の意味での「笑い」が来たのです。21:6の新改訳2017年訳では「神は私に笑いをくださいました」となっています。つまり、神から来る喜びの笑いが来たのです。ローマ9:28には「主は、みことばを完全に、しかも敏速に、地上に成し遂げられる。」とあります。終わりのラッパとともに、主の再臨があり、空中携挙に与ったならば、そのとき、私たちの喜びはどれほどのものになるでしょう。

2.「アブラハムは非常に悩んだ」…イサクが生まれて八日目には割礼が施され、さらに、乳離れすると盛大な宴会が催されます。その時でした。サラは、ハガルの子が自分の子イサクをからかっているのを目撃しました。それを見て憤りを感じたサラは、アブラハムに対して「ハガルとその子を追い出してください」と訴えます。アブラハムにとっては、イシュマエルも自分の子であることに変わりないので非常に悩みました。しかし、主がそこに介入され、アブラハムに対して「サラの言う通りにしなさい」と言われます。イサク誕生という大きな祝福の裏に非常な悩みもありました。アブラハムは、主に言われたとおり、ハガル親子にパンと水を与えて外に送り出します。結局、親子はパランの荒野に住みつき、ハガルはエジプトからイシュマエルのために妻を迎え、後に一つの民族となっていくのです。当つばめさわ教会は市街地内にありながら、敷地内に山があります。全面積248坪の内、約100坪が急傾斜の山です。見方によれば恵みであり祝福でもありますが、反面、毎年、山の手入れを何度もしなければなりません。私たちは、目の前にある為すべきことを坦々と行ないつつも、すべてのことを主に委ねてまいりましょう。「あなたの重荷を【主】にゆだねよ。主は、あなたのことを心配してくださる。主は決して、正しい者がゆるがされるようにはなさらない。(詩篇55:22)」

3.「神はあなたと共におられる」…前章、20章では、アブラハムとアビメレクの間にサラが召し入れられるという一件がありますが、事無きを得、両者は和解しています。アビメレクとしては、アブラハムが気になる存在で、引き続き注視していたのでしょう。ところが、アブラハムは目に見える形で神の祝福を受け続けるので、アビメレクとしては、脅威を覚え、将軍ピコルと共に来て、アブラハムと平和条約を結ぼうとしたのです。アブラハムはあっさりと、それを承諾するものの、井戸のことでアビメレクに抗議します。アビメレクはそのことは知らないでいたということと、アブラハムも自分に何も言ってこなかったと反論します。それでアブラハムはアビメレクに羊と牛を取って契約を結びます。さらに、井戸の所有権を明確にするために七頭のメスの羊をアビメレクに与え、自分が掘った井戸であるということを明確にしようとし、そこがベエル・シェバと呼ばれます。そして、33節で、アブラハムはベエル・シェバで一本の柳を植え、主の名によって祈りました。そのように、アブラハムは日常的に主の名によって祈っていたので、主が彼と共におられ、人の目に見えるように祝福を受け続けたのでしょう。

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