●2025年4月20日(日)礼拝メッセージ要旨 

今年の復活祭(イースター)は4月20日です。AD325年にニカイア公会議が行われました。そのとき、有名な三位一体の定義付けがされ、そして、毎年の復活祭の日程が春分以後の満月後の日曜日と決められたようです。Ⅰコリント15:14には「そして、キリストが復活されなかったのなら、私たちの宣教は実質のないものになり、あなたがたの信仰も実質のないものになるのです。」とありますように、キリストが復活されたということが非常に大きな意味を持ちます。そのためにも、今日まで復活祭が行われてきました。また、復活祭は過ぎ越しの祭りと時期が重なります。過越しは、イエス・キリストの十字架の予表でもあり、キリストの復活は、十字架と一体にして受けとめられるべきものです。本日はマタイ28:1~20から、「主はよみがえられた」という題でポイント4つ上げていきます。

1.「主はよみがえられた」…安息日が終わり、週の初めの日の明け方、マグダラのマリヤと他のマリヤが墓を見に来ました。すると大地震が起こり、主の使いが天から降りて来て、墓を塞いでいる石を脇へ転がし、その上に座りました。番兵たちは恐ろしさのあまり、死人のようになりました。現在エルサレムにはプロテスタント教会が管理している公園墓地(Garden tomb)内のキリストの墓を彷彿とさせる横穴があります。その内部には英語で「ここにはおられません。よみがえられたからです(He is not here; for He is risen)。と書かれたボードがあります。

2.「ガリラヤに行くように言いなさい」…主の使いに出会って、大喜びで弟子たちの所に向かった女たちにイエス様が現われ「おはよう」と言っています。英語の聖書では「Rejoice」、ギリシャ語聖書では「χαίρετε(カイレーテ)」、また、ヘブル語で書かれた(新約)聖書もあって、それには「שָׁלוֹם(シャローム)」となっています。主が単なる挨拶のことばを言われたのではなく、御自身が復活したのですから、「主にあって喜ぼう」という意味で声をかけられたのでしょう。さて、イエス様が復活した、生きておられる、ということは、「こうしてはおられない。次に何をすべきか。」ということになります。主の使いも、イエス様ご自身も、女たちに「ガリラヤに行くように弟子たちに言いなさい」と言われます。エルサレムはキリスト復活のことで、てんやわんやになるでしょう。ガリラヤならエルサレムから距離があり、元々そこはキリストと弟子たちが最初に活動した原点の場所です。

3.「番兵と祭司長たち」…主の復活で勝利の喜びを味わっている人たちがいる一方で、ずっこけている人たちがいます。墓の番をしていた兵士たちと祭司長たちです。元々、祭司長たちはキリストが復活するかもしれないということを察知していて、そのために総督ピラトに願って、兵士たちに墓の番をしてもらったのです。兵士たちも祭司長たちも「イエス・キリストが復活した」ということを動かしがたい事実として認識したはずです。しかし、愚かな彼らは、どこまでもそれを否定しようとします。祭司長たちは協議した上で、兵士たちに多額の金を与えて「自分(兵士)たちが寝ている間に弟子たちがキリストを盗んで行った」と言うようにと画策します。主は生きておられ、正しいさばきをなされます。私たちは、どこまでも誠実に真実に歩みましょう。

4.「いつもあなたがたと共にいます」…11人の弟子たちはガリラヤに行き、そこで復活されたキリストにお会いし、礼拝します。主は彼らに、「わたしは天においても地においても一切の権威を持っている。行って、あらゆる国の人々を弟子とし、バプテスマを授け、わたしが命じたことを彼らに教えなさい。(マタイ28:18~20より)」と言われます。そして「見よ。わたしは世の終わりまでいつもあなたがたと共にいます。」と言われます。私たちと共に主がいつも共におられる。そのためには、私たちが主の前にへりくだることです。「神へのいけにえは、砕かれた霊。砕かれた、悔いた心。神よ。あなたは、それをさげすまれません。(詩篇51:17)」

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