創世記26章1~16節からです。「百倍の祝福を見た」という題で、ポイント3つ上げていきます。
1.「あなたを祝福しよう」…イサクは飢饉に遭遇し、ゲラルの地、ペリシテ人の王アビメレクの所へ行きます。主がイサクに現われ「エジプトには下るな。わたしが示す地へいきなさい。あなたはこの地に滞在しなさい。わたしはあなたと共にいて、あなたを祝福しよう。(3節)」と言われたからでしょう。また「地の全ての国々はあなたの子孫によって祝福される。(4節)」と言われています。その通りに、イサクは祝福を受け、イサクの子孫イスラエル民族はあるときには苦難の道を通ってきたものの、他民族には見られない特別な祝福を受けてきたと言えるでしょう。そして、もう一つ肝心な事は、アブラハム、イサク、ヤコブの子孫、及びダビデの子孫として世に来られたイエス・キリストの十字架と復活による救いを受けたキリスト者も大きな祝福を受けています。エペソ1:3には「私たちの主イエス・キリストの父なる神がほめたたえられますように。神はキリストにあって、天にあるすべての霊的祝福をもって私たちを祝福してくださいました。」とあります。この目に見える世界は目に見えないものによって創造されました。つまり、「全ての霊的祝福」とは、天と地における全ての祝福のことを言っています。キリスト者は受けた祝福を自分だけのものに留めるのではなく、この祝福を人々に分け与えていきましょう。
2.「あれは私の妹です」…イサクは父アブラハムと違い、妻リベカが不妊の女性であることを知って、彼女のために祈ると子が与えられました。また、主の導きの下ではありますが、エジプトに下ることはしませんでした。しかし、ここで、父アブラハムと全く同じ轍を踏みます。妻リベカがあまりに美人で、自分が妻のゆえに殺されるのではないかということを恐れて、「あれは私の妹です」と言ったのです。それを知ったアビメレク王は窓から外を見ているとイサクがリベカを愛撫しているのを見ました。そこで、イサクを呼び寄せ、イサクに「あの女はあなたの妻だ。民の一人があなたの妻と寝て、我々に罪を負わせるところだった。」と抗議します。普通なら、ここで、イサクに何らかの危害が及んでも不思議ではありませんが、アビメレクは「この人と、この人の妻に触れる者は、必ず殺される。(11節)」と言って、却ってイサクとリベカを守ります。これは、第一のポイントで取り上げたように、主がイサクを祝福しているからでしょう。主がアビメレクに働き、彼にそう言わせているのでしょう。「知れ。【主】は、ご自分の聖徒を特別に扱われるのだ。私が呼ぶとき、【主】は聞いてくださる。(詩篇4:3)」
3.「百倍の収穫を見た」…イサクがその地に種を蒔くと、百倍の収穫を見ることになりました。13節には「こうして、この人は富み、ますます栄えて、非常に裕福になった。」とあります。箴言10:4には「無精者の手は人を貧乏にし、勤勉な者の手は人を富ます。」とあり、その一方で同章10:22には「【主】の祝福そのものが人を富ませ、人の苦労は何もそれに加えない。」と言っています。確かに、勤勉で努力して富者になるという側面もありますが、誰でも努力すれば富者になるという保証はありません。やはり、最終的なカギを握っておられるのは全知全能の神の御手があるかないかということではないでしょうか。但し、それはともかく、箴言3:1~10には、もっと深い本当の祝福が記されています。そこには七つのことが記されています。①みことばに心を留める。そうすることによって長寿と平安がある。 ②恵みとまことに満ちておられるイエス・キリスト(ヨハネ1:14)から離れない。 ③神と人との前に好意と聡明を得よ。すなわち、神を愛し、隣人を愛する。(マタイ24:37~40) ④自分の悟りに頼らず、主により頼む。つまり祈る。 ⑤すべてのことに感謝し、どんな状況でも主に期待する。 ⑥悪から離れる。それが健康と元気のもとになる。 ⑦神の国とその義を第一にする。そうすれば満たされる。