創世記24章の後半、33~67節からです。「主から出たことですから」という題で、ポイント3つ上げていきます。
1.「このことは主から出たことですから」…アブラハムのしもべ(僕)は、アブラハムから主人の息子イサクの妻となる女性を探し出し、カナンの地にお連れするという特命を受け、主人の生まれ故郷を訪れました。彼は水汲み場で佇んでいて「水汲みに来た女性に自分が水を求めた時とき、水を与えてくれて、さらにラクダにも水を飲ませてくれたなら、その女性こそイサクの妻となる人でありますように。」と主に祈ります。その祈りが終わらないうちに、なんとアブラハム兄弟ナホルの孫でもあるリベカが水汲み場に現われ、アブラハムのしもべが祈った通りのことが起きるのです。そして、しもべたち一行は家に招かれ、リベカの兄ラバンと父ベトエルらと食事を共にすることになりますが、しもべは自分の用向きを話さなければ食事をいただかない、と言います。すると「お話しください」と言われ、それまでの経緯を話し、最後に「私の主人に恵みとまことを施してくださるでしょうか。」つまり、「リベカをイサクの妻として連れて行くのは是か非か?」ということです。それを聞いていたラバンとベトエルは「このことは主から出たことですから、私たちはあなたに良し悪しを言うことはできません。」と答えるのです。このアブラハムの僕とラバンたち両者との会話の中には全知全能の主を第一にするという共通の価値観があります。偶像崇拝大国とも言える日本には、これがありません。使徒17:24~25でパウロは、哲学発祥の地アテネの人々に「この世界とその中にあるすべてのものをお造りになった神は、天地の主ですから、手でこしらえた宮などにはお住みになりません。また、何かに不自由なことでもあるかのように、人の手によって仕えられる必要はありません。神は、すべての人に、いのちと息と万物とをお与えになった方だからです。」と言いました。
2.「はい。まいります。」…アブラハムのしもべは、話が成立すると、リベカに銀や金の品物や衣装を与え、彼女の兄や母にも貴重な品々を贈ります。そして翌朝、しもべが帰ろうとすると、兄と母が「娘を10日間ほど留めておいてから行かせたい」と言います。しもべは「私が遅れないようにして下さい」と言います。彼らは「娘に聞いてみましょう」と言い、リベカに聞くと「はい。まいります。」とあっさり答えるのです。リベカもまた信仰の人で、神に従順に従う道を真っすぐに進もうとしていました。今日、私たちの信仰も、いつまでもどっちつかずではいけない。全知全能の主を信じ、主の道をまっすぐに進んで行きましょう。ラバンたちはリベカに対し、「われらの妹よ。あなたは幾千万にもふえるように。そして、あなたの子孫は敵の門を勝ち取るように。」と祝福します。この後、イサクとリベカによってヤコブが生まれ、イスラエル民族の祖先となります。また、アブラハムの子孫、ダビデの子孫として世に来られたイエス。キリストの十字架と復活による救いが完成され、人類最大の敵である死の力が打ち破られるのです。
3.「イサクとリベカ」…リベカが彼女の乳母と侍女たちを伴い、アブラハムのしもべと共にカナンの地に帰ってくると、イサクが野に散歩していて、彼らの到着を迎えたのです。リベカがしもべに「あの人は誰ですか」と聞くと、しもべは「あの方が私の主人です。」と答えます。すると、リベカはベールを取って身をおおいます。今日、キリスト教式の結婚式では花嫁はウェディングベールを着用します。たぶん、この聖書の箇所が今日のウェディングベールの由来となっているのではないでしょうか。さて、イサクとリベカが今日行われるような結婚式を挙げたという記事はありませんが、何らかの形を取ったかもしれません。イサクとリベカ、そして、その回りの人々が全能の主の導きを求め、それに従ったゆえに、祝福された結婚に至ったと言えるでしょう。最後は申命記28:1です。「もし、あなたが、あなたの神、【主】の御声によく聞き従い、私が、きょう、あなたに命じる主のすべての命令を守り行うなら、あなたの神、【主】は、地のすべての国々の上にあなたを高くあげられよう。」