●2025年12月28日(日)礼拝メッセージ要旨           

 しばらくクリスマス関連の聖書箇所からでしたが、久々に創世記に戻り、創世記48:1~22から「私(ヤコブ)は彼らを祝福しよう」という題でポイント3つ上げていきます。

1.「カナンの地ルズ(ベテル)で」…ヤコブの召天の日が近づき、その上で病気の知らせがヨセフに届き、ヨセフは二人の子を連れて父が臥せっている所に行きます。ヤコブはヨセフが来たことを聞いて、力をふり絞って床の上に座ります。そしてヤコブはルズ(ベテル)で、主が彼に現われ語られたことをヨセフに語ります。それは、祖父アブラハム、父イサクから受け継いだ主からの約束です。一つは、イスラエル民族は増え一つの国民となること。もう一つはカナンの地が自分たちに与えられるということです。イスラエルの民はエジプトで約400年滞在し、出エジプト時に男だけで60万人となっています。その後、様々な変遷と捕囚や迫害を経て、現在ユダヤ人は1400万人、そのうちイスラエル在住は630万人、アメリカ(USA)には570万人、あとの200万人はフランス、カナダイギリスなどに在住しているとのことです。つまり、全能の主がアブラハムに、そしてヤコブに語られた通りになっています。主が語られたみことばは必ず実現するのです(イザヤ55:10~11参照)。

2.「ヨセフの二人の子」…5節でヤコブは、現代の一般的な感覚からすると、不思議なことを言っています。それは「ヨセフの二人の子エフライムとマナセはルベンとシメオンと同じように、私(ヤコブ)の子とする」というものです。それはヤコブの人間的な思惑ではなく、主のみこころに従ってのことでしょう。出エジプト後、イスラエル人がカナンの地に定着していくとき、ヨセフと祭司職のレビの名は消え、マナセとエフライムが代わりに加わっています。この後、ヤコブは弟エフライムに右手を置いて祈っていますが、後の時代になって、エフライム部族から、モーセの後継者ヨシュアが出ています。そしてイスラエル初代王サウルと二代目王ダビデに油を注いだ預言者サムエルもエフライム部族の出です。但し、ソロモン王のあと、イスラエルは二つの国に分裂しますが、ユダ族の対抗勢力となったのはエフライム部族のヤロブアムでした。ヤロブアムから始まった北イスラエル王国は真の神から離れ偶像礼拝に進み、南ユダ王国より135年も早く、アッシリヤ帝国によってBC721年に滅ぼされました。確かに、エフライム族はリーダー的な存在ではあったのですが、最も肝心な真の神への信仰は失われていったのです。

3.「右手をエフライムの上に」…マナセは「忘れる、忘却」という意味があります。父ヨセフとしては、兄たちからひどい仕打ちを受け、エジプトでは奴隷生活から始まっています。その後、結婚して子が与えられ、過去の嫌なことは忘れようとしたのでしょう。エフライムは「二倍に増える、実り多い」という意味があり、ヨセフは二人目の子に対して二倍の喜びを味わったのでしょう。その子らの祖父であるヤコブは、彼らに祝福の祈りをするとき両手を交差させ、左側に立っているエフライムに対して右手(イザヤ41:10参照)を置き、右側に立っているマナセに対しては左手を置きました。ヤコブ自身、双子の兄であるエサウから長子の特権の祝福を(母リベカの計らいもあり)横取りしたことも思い出していたでしょう。確かにその祈りの通り、後年、ヨシュアやサムエルなどの優れた霊的指導者がエフライム族から出ましたが、その後は芳しくありません。それは真の神から離れ、偶像礼拝に陥ったからです。きょうは、2025年最後の礼拝。つい先日はクリスマス、元日になると今度は多くの人が初詣に行きます。しかし、全知全能で唯一の創造主が最も忌み嫌うことは、偶像礼拝です。使徒の働き17:24には「この世界とその中にあるすべてのものをお造りになった神は、天地の主ですから、手でこしらえた宮などにはお住みになりません。」とあるように、私たち人間の存在の原因であり、目的でもある真の主、イエス・キリストの父なる神に立ち返るべきであります。

コメントする

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です