●2026年3月8日(日)礼拝メッセージ要旨        

今回は、いつもの出エジプト記から離れて新約聖書・ヨハネの福音書10:1~18から「わたしは羊の門です」という題でポイント3つ上げていきます。

1.「わたしは羊の門です(7節)」…この章でキリストは、羊とか門とか牧者などと言っています。羊は神の国の民のこと、門は神の国の入口、牧者は神の国の民を導く指導者のことです。まず、「門」です。キリストはご自身を神の国に入るための門であると言われました。しかし、そのイエス様の門を通らないで入って来ようとする者は、盗人で強盗であると言われ、また、「盗人が来るのはただ盗んだり、殺したり、滅ぼしたりするだけのためです。」とも言われました。ロシアとウクライナによる戦争はもう4年になります。そして、つい最近はアメリカとイスラエルがイランを攻撃して難しい状況になっています。それぞれの立場の言い分もあるでしょうが、箴言20:3には「争いを避けることは人の誉れ、愚か者はみな争いを引き起こす。」とあります。双方とも争いを避ける選択をするならば決して戦争は起こらないでしょう。このヨハネ10:9でキリストは「わたしは門です。だれでも、わたしを通って入るなら、救われます。また安らかに出入りし、牧草を見つけます。」と言っておられます。イエス様は神の国への入口であり、それは永遠の平和への入口でもあります。何か遠い所にあるのではありません。神の国の門は、すぐそばにあります。キリストの福音を信じ、「イエス・キリストの名」を呼び求める、そこに天の御国の門があるのです。

2.「わたしは良い牧者です(11節)」…12~13節で、キリストは「牧者ではなく羊の所有者でない雇人は狼が来ると逃げて行き、彼は羊のことを心にかけていない」と言っておられます。この世界の創造主であり、救い主イエス・キリスト様は、私たち一人ひとりのことを24時間、休むことなく気にかけておられます。詩篇139:1~2には「 【主】よ。あなたは私を探り、私を知っておられます。あなたこそは私のすわるのも、立つのも知っておられ、私の思いを遠くから読み取られます。」とある通りです。そして良い牧者は「羊のためにいのちを捨てます」とあるように、キリストは、全知全能の神の権威の下に、信じる者の罪のために十字架でいのちをお捨てになられました。

3.「わたしには他の羊があります(16節))」…16節でキリストは、「わたしにはまた、この囲いに属さないほかの羊があります。わたしはそれをも導かなければなりません。彼らはわたしの声に聞き従い、一つの群れ、ひとりの牧者となるのです。」と言われました。ここで「他の羊」とは、ユダヤ人ではない異邦人の神の民であろうと思われます。この後、イエス・キリストの十字架と復活による福音がまず、ユダヤ人たちに宣べ伝えられ、そして、最初は、キリスト者を迫害していたパウロが回心すると、パウロによって世界宣教が本格化します。当時は、現在のトルコ、ギリシャ、イタリヤなどに留まっていましたが、今日(こんにち)、全世界に福音が届けられ、確かに、イエス・キリストを大牧者とする一つの群れとなっています。もう一つの「他の羊」です。それは、既にキリスト者となっている人にとっては、自分だけの救いに満足していてはなりません。回りの方々に福音を届ける、証しするという大切な使命があります。

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