創世記34:1~31からです。この章はメッセージのテキストとして用いるには正直難しいと思います。しかし、私たちは聖書全体から偏ることなく学ばなくてはなりません。なるべく肯定的なタイトルにしたいと思いましたが「ヤコブの娘ディナの事件」という題になってしまいました。ポイント2つ上げていきます。
1.「ディナが辱められる」…この時点で、ヤコブには四人の妻から11人の男子と一人の女子(聖書の記事で判断する限り)、計12人の子がありました。ディナはレアから生まれた七番目の子です。ですから、兄弟姉妹の中で正に紅一点ですから、余計に愛らしく思われていたと想像できます。そのディナが、土地の族長ハモルの子シェケムに辱められたのですから、ヤコブもヤコブの子らも心を痛めない筈はありません。日本の夏の風物詩とも言える高校野球夏の甲子園大会が行われています。今回、広島県代表となったチームが一回戦勝利したものの、今年初め頃、部員の暴力事件があり、SNSを通して、「処分が甘いのではないか。今大会に出場すべきではない。」といったような批判が多数見受けられました(※その後、二回戦出場辞退)。悪事を行なうと、その代償は決して小さくありません。それは置いておくとして、今大会では静岡県代表で聖隷クリストファー高校が初出場を果たしました。一回戦を勝利し、校歌が歌われましたが、何と賛美歌393番が流れました。歌詞は「神の光は 世の小路の 暗き隅にも 光り輝く 神を称えて 為す務めに 高き低きの 隔てあらじ」です。聖隷グループは静岡県浜松市にある医療、福祉、教育など幅広く社会貢献をしている団体で「キリスト教精神に基づく隣人愛」を基本理念としています。ガラテヤ6:2には「互いの重荷を負い合い、そのようにしてキリストの律法を全うしなさい。」とあります。全ての人は罪人です。イエス・キリストの十字架による救いを受け、キリストの力によって少しでも隣人愛を実行できればと思います。
2.「互いに悪巧み」…ハモルとその子シェケムはヤコブの所に来て、ヤコブの娘ディナのことで「シェケムの嫁にもらえないか、そして、互いに結婚の縁を結び、一緒に暮らしましょう。」と言います。それに対してヤコブの息子たちは、一つの条件を提示します。それは、「自分たちと同じように割礼を受けるならば、同意する。そうでなければディナはやれない。」と言います。ハモルとシェケムは即答でその条件を受け入れます。そして、彼ら二人は町の人々を集め、彼らに割礼を受けさせるために二つのことを言います。「①あの人たちは私たちの友だちである。②彼らを受け入れて一緒に住んでいればあの人たちが持っている財産が私たちのものになる。」です。聖書の記事では、ハモルが事の発端となったシェケムの過ちについて言及したということは記していません。②については、人々を説得するためにその利点を強調したのでしょう。さて、その後、ヤコブの子らであるシメオンとレビは、ハモルとその民らが割礼を受けて三日目、彼らの傷が最も痛んでいる時を見計らって彼らを襲い、女子供と財産を略奪します。元はと言えば、ハモルの子シェケムがヤコブの娘ディナを辱めたことから始まっています。それは決して小さな問題ではありません。しかし、その事件を発端にして、シメオンとレビによる殺人と略奪というもっとひどいことが起こりました。イスラエルは神の選びの民です。聖書はその選びの民であるイスラエル人について記してあるのに、何も忖度せず、事実をありのまま表現しています。聖書の神は真実で正しい方です。私たちは聖書の真実な神を信頼し、その神に従って行きたいと願います。しかし、全ての人は罪人で不完全です。だからこそ、日々、自らを省み、悔い改めて生きるのです。最後に箴言28:13です。「自分のそむきの罪を隠す者は成功しない。それを告白して、それを捨てる者はあわれみを受ける。」