●2025年8月17日(日)礼拝メッセージ要旨 

創世記35:1~29からです。この章ではヤコブがシェケムからベテルへ行きます。そしてベテルからエフラテに行き、また父イサクのいるヘブロンのマムレに行きます。「ベテルへ、そしてエフラテへ」という題でポイント3つ上げていきます。

1.「ヤコブ一族、ベテルへ」…シェケムに滞在していたヤコブ一族ですが、シメオンとレビの復讐行為によって、その地域にいられなくなりました。逃げたとしても近隣住民が追ってくるかもしれません。そこで神が介入され、ヤコブに現れて「ベテルに上り、そこに住み、神のために祭壇を築きなさい」と言われます。ヤコブは家族と一緒にいる者たちを集め「異国の神々(偶像)を捨てて身をきよめ、ベテルに行こう」と言います。それを聞いた人々は偶像と耳輪をヤコブのところに持って来ます。その上で、彼らが旅立つと「神からの恐怖」が回りの街々に下ったので、彼らはヤコブのあとを追うことはしませんでした。言うまでもなく、ヤコブの祖父はアブラハム、父はイサクです。アブラハムが受けた神からの特別な祝福がイサクに、そしてヤコブにも受け継がれています。ガラテヤ3:13~14によると、今日、そのアブラハムへの祝福が、イエス・キリストを信じる信仰によってクリスチャンにも受け継がれているのです。クリスチャンは偶像礼拝をしてはなりません。8月15日は終戦記念日で、国会議員の内の何人かの方々が靖国神社を参拝します。「靖国神社は明治維新及びそれ以後の国事に殉じた戦死者246万余の霊を合祀している」としています。「霊を合祀する」という言葉をよく吟味しましょう。伝道者の書12:7には「ちりはもとあった地に帰り、霊はこれを下さった神に帰る。」とあります。人は死ぬと、その霊は創造主である神の元に帰ります(※神の元に帰った霊が天国か地獄か、それはまた別問題です)。それを被造物に過ぎない人間が、その霊を集めたり、移動させたりすることはできません。つまり、246万余の霊がそこに存在しているということは聖書的視点から見て、決してありえないことです。クリスチャンは、空しい偶像礼拝をしている人々のために祈り、宣教しなければなりません。

2.「主が再び彼に現われ、祝福された」…ベテルに来て主のために祭壇を築いたヤコブに、主が現われ、「あなたの名はヤコブと呼んではならない。イスラエルでなければならない。生めよ。ふえよ。王たちがあなたの腰から出る。あなたにアブラハムとイサクに与えた地を与える。」と言われます。振り返ってみますと、ヤコブはシェケムから逃げるようにしてベテルに来ました。しかし、そこで神がヤコブに現われ、彼を祝福したのです。ヤコブはどれだけそれを心強く思ったことでしょう。エレミヤ10:16には「ヤコブの分け前はこんなものではない。主は万物を造る方。イスラエルは主ご自身の部族。その御名は万軍の【主】である。」とあります。ヤコブも、そして今日のクリスチャンが受ける分け前は「こんなものではない」、つまり、天地の創造主、万軍の主が与えてくださる祝福は正に筆舌に尽くしがたいものとなるのです。

3.「ベテルを旅立ってエフラテへ」…ここで突然、ヤコブ一族はベテルを旅立ってエフラテへ向かいます。1節では、神はヤコブに「ベテルに上り、そこに住みなさい」と言われました。しかし、聖書の記事を見る限りにおいては「エフラテに行きなさい」とは記されていません。もちろん、記事にないだけで、「行きなさい」と言われたかもしれません。また逆に、神のみ旨に反して、行くべきではないのに勝手に行ったのかもしれません。この後、エフラテ(ベツレヘム)への途上で最愛の妻ラケルがベニヤミンを出産するものの死んでしまいます。ここで話は飛躍しますが、エフラテはベツレヘムのこと、救い主イエス・キリストが降誕した地です。しかし、現在のベツレヘムはパレスチナ自治区内にあり、ユダヤ教徒のイスラエル人(ユダヤ人)にとってキリストは救い主ではありません。それはローマ人への手紙11:25~26にある通り、今は異邦人の時だからです。異邦人の完成のなる時が来て、イスラエルはみな救われるのです。

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