創世記36:1~43からです。この章はエサウ(エドム)についての系図などが記されています。旧約聖書はイスラエルに焦点を当てた記事となっていますが、主がどのような意図をもってこの章を挿入されたのかを探っていきましょう。「エサウ(エドム)の歴史」という題でポイント3つ上げていきます。
1.「アダムからエサウ」…人類最初の人アダムから10代目はノアの箱舟のノアです。ノアにはセム、ハム、ヤペテの三人の息子がいました。そのうちのセムから10代目がアブラハムです。すなわち、アダムから20代目がアブラハムです。アブラハムからイサクが生まれ、イサクからエサウとヤコブが生まれました。アブラハムから始まった神からの特別な長子の特権の祝福はイサクに継承されました。エサウは長男でしたが、その長子の特権はイサクからヤコブに受け継がれました。エサウとしては自分の立場に複雑なものを感じていたでしょう。一方、ヤコブもエサウの存在に対して無視できないものもあったことでしょう。箴言18:19(新改訳改訂第3版)では「 反抗する兄弟は堅固な城よりも近寄りにくい。敵意は宮殿のかんぬきのようだ。」となっていますが、口語訳聖書による箴言18:19では「助けあう兄弟は堅固な城のようだ、しかし争いは、やぐらの貫の木のようだ。」です。本来、兄弟は助け合って生きるのがベストです。ところが、ヤコブとエサウの場合は、互いにぬぐい切れない疑心暗鬼のようなものがあり、主ご自身も彼らを遠ざけて住むようにされたのでしょう。
2.「エサウの権勢」…エサウはイサクとリベから生まれた双子の長男です。確かに霊的な祝福が伴う長子の特権は弟ヤコブに行きましたが、人間的な能力としては優れたものがあったと思われます。エサウの三人の妻から生まれた子らから、14人の首長が出ています。また、先住民のホリ人と民族的同化をし、ホリ人セイルから7首長が出て、合計21人の首長が立てられています。ヤコブがハランからカナンに帰る途中のペヌエル付近でヤコブとエサウは再会していますが、その時すでにエサウは400人(たぶん精鋭)を引き連れて来ています。つまり、エサウはリーダーシップや管理能力に優れていたことがうかがえます。高校野球、夏の甲子園大会が沖縄尚学の優勝で幕を閉じました。その優勝校にタイブレークの末敗れた仙台育英の須江監督語録が話題になっています。今回、暑さ対策で導入された夜の試合に対して須江監督は「人生最高の夜更かしですよ」と言ったとのこと。また、「うまくなるだけの野球って薄っぺらい」とも言ったとのこと。正にご尤もです。野球よりもっと大事なことはあるはずです。エサウについてもそうですが、世の権力よりもっと大事なことがあります。天地を創造した真の神を恐れること。その神が与えてくださる永遠のいのちに与ることです。
3.「永遠(主なる神)の視点」…エサウ一族の首長は14人、先住民ホリ人の首長は7人、合計21人の首長がいました。また、エサウ(エドム人)の子孫か否かは定かではありませんが、イスラエル人の王が治める以前、エドムの地には七人の王の名が出ています。また、キリスト降誕時、ローマ帝国の配下にあってユダヤの王として君臨していたのはヘロデ大王です。ヘロデの出自は明確にされてはいませんが、通説ではエドム人の子孫であろうとされています。ヤコブの子孫、ダビデの子孫として世に来られたイエス・キリストは多くの人々の救いのために十字架にお架かりになり、葬られ、三日目に復活され、今も生きておられます。一方、キリストがベツレヘムでお生まれになることを東方の博士たちから聞いたヘロデ大王はベツレヘムとその近辺の二歳以下の男児を殺害するという暴挙に出ています。正に天と地の大きな違いです。Ⅰコリント13:13には「こういうわけで、いつまでも残るものは信仰と希望と愛です。その中で一番すぐれているのは愛です。」とあります。私たちは、永遠の神の視点で物事を見ていきましょう。キリストを信じる信仰、キリストによって与えられる希望、キリストの愛に支えられながら、日々を過ごしてまいりましょう。