12月に入りました。クリスマスシーズンに因み、イザヤ9:1~7から「ひとりのみどりごが」という題で3つのポイントを上げていきます。
1.「預言者イザヤ」…イザヤは、ユダの王・ウジヤ、ヨタム、アハズ、ヒゼキヤの時代に主の預言者として用いられました。時代は紀元前(BC)700年頃のことです。当時のイスラエルは北イスラエルと南ユダの二つの国に分裂していました。1節に出て来るゼブルン部族とナフタリ部族は北イスラエルに属していました。元々は神の民であるのに北イスラエルは神から遠く離れていました。そのために、BC721年、アッシリヤに滅ぼされてしまいました。しかし、同じ1節には「異邦人のガリラヤは光栄を受けた」とあります。滅亡して異邦人の国と化してしまったところに神からの光栄が及んだのです。箴言18:12には「人の心の高慢は破滅に先立ち、謙遜は栄誉に先立つ。」とあります。この世界を創造された真の神は、高ぶる者を退け、へりくだる者に恵みを授けてくださいます。今から約2025年前、神のひとり子イエス・キリストはベツレヘムで産声を上げられましたが、その後はガリラヤ湖から遠くないナザレで過ごされ、およそ30才からは公に人々の前に現われ、ガリラヤ湖のほとりカペナウムを宣教の拠点とされました。今日、ガリラヤは世界中のクリスチャンが聖地旅行で訪れる正に光栄を受けた場所となっています。
2.「ひとりのみどりごが私たちのために生まれる」…「みどりご」は「緑児」、「新芽のように若々しい」という意味のようで、たいていの日本語聖書では「みどりご」です。この、ひとりのみどりごは「不思議な助言者、力ある神、永遠の父、平和の君」と呼ばれるようになるのです。つまり、その赤ちゃんは天地を創造した真の神ご自身だったのです。正にありえないことが起こりました。私たちの日常生活においても小さな奇跡と言えるようなことが時々起こるのではないでしょうか。また、その前に、私たち一人ひとりがこの世に生きていることそのものが奇跡であるとも言えます。さて、その方(イエス様)の不思議はさらに続きます。その方はおよそ30歳で公生涯を始められ、全く罪の無い方であるのに十字架に架けられ、殺されます。それは、多くの人の罪の身代わりに苦しみを受け、死なれたのでした。そして墓に葬られ、三日目に復活し、今も生きて信じる私たちを執り成してくださっているのです。この方は「私たちのために生まれ、私たちに与えられる(6節)」とある通り、聖霊によっていつも共にいてくださるのです。「~見よ。わたしは、世の終わりまで、いつも、あなたがたとともにいます。(マタイ28:20b)」
3.「万軍の主の熱心が」…その方の主権は増し加わり、その平和は限りなく、ダビデの王座に着いて、その王国を治め~とありますが、イエス・キリストは、再びこの地上に来られ、やがてご自身が統治される世を治められる。その背後には万軍の主の熱心がそれを成し遂げるのです。イザヤ37:32には「エルサレムから、残りの者が出て来、シオンの山から、のがれた者が出て来るからである。万軍の【主】の熱心がこれをする。」とあります。これは最後まで神に忠実に従った者たちが神ご自身の熱心によって支えられたという意味かと思われます。それは、今日のキリスト者においても同じです。聖霊様の助けをいただき、心燃やされて主に仕えてまいりましょう。