2012.5.6礼拝メッセージ要旨(マタイ1:1~17)

黙示録の学びを終え、新約聖書の初めから、マタイの福音書です。イエス・キリストの系図です。この系図は、少なくとも、ユダヤ人にとっては意味の深いものですし、キリストが、旧約聖書で預言されていた救い主であり、正統的な王家の家系から生まれられた、正に由緒正しい方であるということを示すためのものと言えるでしょう。このマタイの福音書に記されている系図では、アブラハムからマリヤの夫であるヨセフまで。一方、ルカの福音書に出てくる系図では、ヨセフの妻であるマリヤの父ヘリからさかのぼってアダムまで記されています。両系図は、アダムからダビデまで同じで、ダビデから、同じ母バテ・シェバによるソロモンとナタン(第一歴代誌3:5)で分かれます。このマタイの系図は、マリヤ以外では四人の女性が出てきます。タマルはユダの息子の嫁です。ラハブは、エリコの遊女です。ルツはモアブ人で再婚です。そして、バテ・シェバはウリヤの妻です。「ウリヤの妻」という表現自体が尋常ではありません。つまり、神は、人間の弱さや醜さを包み込み、それらを用いて、キリストの系図が形成されています。それゆえに、私たちも神の大きな恵みの救いに与ることができるのです。その神の懐の深さと言いましょうか、愛の大きさに比べ、私たち人間は、自分の枠や壁を作ってしまって、自分の枠外の人たちを裁いたり、自分と同類の人たちだけで固まってしまう傾向にあります。ですから、私たちは、もしそれが不要な枠や壁ならば、それを取り払うために努力し、神の大きな愛に一歩でも近づきましょう。

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