2012.10.14礼拝メッセージ要旨(マタイ8:1~17)

この箇所では三人がイエス様によって病のいやしを受けています。まず、ツァラアトに冒された人です。この人は直る見込みがなく絶望状態だったことでしょう。皮膚系の病気で感染を恐れ、誰も彼に近づくことさえしなかったでしょう。イエス様そんな彼にあえて手を伸ばしてさわっていやしのわざを行われました。そして、「祭司に見せなさい。」と言っておられますが、当時、祭司は今日のお医者さんのような役目を果していて、実際のいやしとともに、祭司によって「いやされた」という公的な宣言がされるためでした。
次に、百人隊長のしもべのいやしです。異邦人であるローマの軍人は「ただ、おことばをください。そうすればしもべは直ります。」と、イエス様も驚かれるほどの素晴らしい信仰を表しました。イエス様が「あなたの信じた通りになるように。」と言われたその時に、しもべはいやされました。
もう一人はペテロのしゅうとめです。彼女は熱病で床についていたのですが、イエス様が手に触られるとたちどころにいやされ、なんとすぐに起きてイエス様をもてなし始められたのです。以上、いやされた三人の共通点を探すとすれば、立場の違いはあれ、それぞれ弱さを持つ人たちで、そこに、本人及び関わる人のイエス様に対する信仰がありました。
箴言3:5~8を見ますと、私たちが真の神を信じ、この方により頼み、自分の悟りに頼らず、どこにおいても主を認め、主を恐れて悪から離れるなら、健康が与えられ、骨に元気がつくと約束しています。つまり、大事なのは私たちの心です。力の限り見張って、自分の心を見守るなら、いのちの泉がそこからわいてくるのです(箴言4:23)。

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